2013年12月29日日曜日

facebookは何かと面倒くさい



なんかこう、作りが好(よ)くない。
公式?ページだと思っていたのがファンのページだったり。いわゆる

「スマートさ」

に大きく欠ける。



でも知らなかった人を知ることで、その人の作品というか創作物に出会って面白いことがあるというのは確か。だからといってfacebookがあるのとないのとでどっちがいいか?と言われれば、端直には無いほうがいい。無い方がいいが、それじゃベニオフCEOにハードボイルドまがいなにらみを利かした渋顔で、




「don't be binary.」

とか言われるのがおち。


でその、最近知った人のエントリーで、クリスマスの夜、飲み過ぎて倒れている人を心配して交番に行く話がとても面白く書かれていたのだが、自分にも似たような経験があったのでメモしておこう。



あるとき、多分10年ぐらい前、車で家に帰る途中、もう家は近い。住宅街の細い下り坂を丁寧に、見通しの悪い交差点は交通ルールに従って十分徐行しながら何本か通過したところ。

突然、倒れた自転車と人が視界に飛び込んで来た。

見た瞬間酔っぱらいだと思って通り過ぎようとしたのだが、かみさんが言うことを聞かない。「だってもし後から来た車に轢かれたらどうするの!?」ときた。仕方ないので車を路肩に止めると、かみさんが近寄って声をかける。

だがまてよ? この状況、どうみても俺がこのおっさんを轢いたってシチュエーションじゃないか!

いやいやいや、みなさん。違います。違うんですよー。僕たち(正確にはかみさん)はただ、あの人が心配で駆け寄っただけなのですからー。

結局案の定、酔っぱらってコケた勢いで寝転んでしまったおっさんだったのだが、声をかけられるとすぐに気づいて、どうもすいません、とニコニコ。まったく。

警察はもちろん呼ばなかったし、後から心配になってちゃんと帰ったか確かめたりはしなかった。我ながら冷たい奴。

2013年12月26日木曜日

動的な曲


     ♪ = f(x)


曲は、一般的に静的だ。ライブ演奏には即興が加わるが、もしそれを録音したら、それは静的になる。曲として動的かは微妙だ。

動的な曲とは、例えば関数で出来た曲、というのが考えられる。譜面には関数が書いてあり、演奏あるいは再生するたび、何かが違うのだ。それは、関数にはパラメータがあからであり、それを例えば天気や気温のような、常に動的な自然現象を入れる、などすることにより、動的な曲を実現することができるのではないだろうか。善し悪しは別として。

コードを関数と考えることも出来るだろう。曲にはパートがあり、どのパートでどの音を使うか、リズム(拍子とBPM)も合わせて最終的な音を選択し、積み重ね、あるいは混ぜ合わせることで、ユニークな曲が完成するのだから、ライブの即興演奏的な振る舞いを、コードという関数(あるいはもっと直接的に言えばプログラミング上のクラス)としてみることができるかもしれない。

しかしここでメモしたい動的な曲における関数とは、もっといろんな要素が含まれ、再生の度に(原則として)前とは違う曲になるのだ。言ってみれば、パート毎に擬人的で、その感性が関数のパラメータに依存にする。

とはいえ、曲としての一貫性あるいはアイデンティティを持っていなければ、それが特定の曲名を持つには値しなくなってしまうだろう。

関数型の楽曲。

つぎはこれにチャレンジしてみたい。


2013年12月23日月曜日

World War Z

 

しょうもない映画。

brad pitt といえば、ルイ。誰が何と言おうと、確かに彼はルイを映し出していた。こんなしょうもない映画にどうして出たのかは知らないが、戦闘機購入資金を捻出するためではないだろうか。


ここから完全なネタバレ。

まず、ゾンビ映画に共通して言えることだが、彼らの飲まず食わずのエネルギー源。あれは何なのか? zに至っては、とても人間業とは思えないほど、超高速で長距離を駆け巡る。しかもそこら中に散乱する障害という障害を屁とも思わないのだから大した病気だ。共食いもしない。そしてなんと、不治の病を持っている人間を瞬時に見抜くという謎の力を持っているのだ! をいをい。。

突拍子もない設定が悪いわけではない。あまりにもくだらないのが問題なのだ。偽装というアイディアは良い線を行っているのだが、展開力が全くないので、完全に持て余してしまっている。数万通の応募の中から、年の割に想像力に富んだ小学生のアイディアを選んだ感じ。

それに映画の中の世界の様子が全く描けていないから、カナダの難民キャンプがいいんだか悪いんだか分からないし(説明もない)、突然飛行機のトイレ?からゾンビが出てきたりするトンデモ設定。

そしてその飛行機が墜落すると、そこが何処かも絶対分からないはずなのに、腹にぶっとい剣のような金属が突き刺さったまま、延々歩いて、いとも簡単に目的地のWHO施設に辿り着くなんざ、ダイハードでも許されない不死身さと、何か俺今ウトウトしてたっけ?という突拍子もない展開。

をいをい嘘だろう?という心配をよそに、100はあろうかという病原菌サンプルを、一発で見事に打ち当ててしまうのも、まるで6歳の子供が書いたシナリオそのままといった感じ。




iTunes (HD) : 500円
評価:100円(1週間レンタル)



2013年11月24日日曜日

臆病



 臆病とは、人が自然淘汰の中で、生存競争(生存可能性)におけるリスク(危険遭遇率)を回避するために進化した、優れた能力である。


※ 写真はflickrでCCライセンスの"evolution"を検索して出てきたもの。素晴らしい。

2013年11月23日土曜日

ひさびさのペン大 11月初回

さて夏休みを挟んで初めての復帰。本当にひさびさである。今日実は色々行けない事情が重なったのだが、今日こそ絶対行くと前から決めていたので、それに屈っせず行けて本当に良かった。

その気合いに応えてくれたかのような、やはり最高に楽しい授業だった。先生、ありがとうございます!

20世紀は四度(IV△7)の時代。

分析曲ではトニックが一回しか現れず、IVが各小節の頭に出まくる。曲を特徴付けるので、人によっては第二のトニックともいう?らしい。

今思ったのだが、このIVの時代というのは、あくまでメジャーの話なのか、マイナーもなのか。分析曲のコード進行上はGメジャーだが、マイナーの場合はどうなのだろう?


とはいえ、それは、トニック感を利用した浮遊感というか、幻想感というか、そういったものだと思うので、どう理解するかの問題だと思う。トニックって何?という。

あと、課題曲(分析曲)ではキーGだったので、このIVをIにするとキーCになる。♯が1個減るが、これで行くと曲はどう見えるのだろう?

Gダイアトニック
G△7 Am7 Bm7 C△7 D7 Em7 Fm7-5
Em7 Fm7-5 G△7 Am7 Bm7 C△7 D7

Cダイアトニック(GのIV)
C△7 Dm7 Em7 F△7 G7 Am7 Bm7-5
Cm7 Dm7-5 E♭△7 Fm7 Gm7 A♭△7 B♭7


面倒なので色々省略してしまったが、
まあ、”ダイアトニック環境"に立てば言わずもがなコードが一致しない。

じゃあどうすればコードが合うかと言えば、
”スケールを代え”ればいい。

Gメジャースケールと同じ構成音のままCから弾くとCリディアン。
もしIV度がトニック並みなのであれば、ダイアトニック統合表の中に、リディアンを入れてしまうというのもアリな気がするが。

Cメ(GのIV)/リディアン入り
C△7 Dm7 Em7 F△7 G7 Am7 Bm7-5(メジャー)
C△7 D7 Em7 Fm7-5 G△7 Am7 Bm7(リディアン)
Cm7 Dm7-5 E♭△7 Fm7 Gm7 A♭△7 B♭7(ナチュラルマイナー)
..
..

でもよく見るとメジャーではドミナントであるVが△7になっていて、如何にもまずい。由来するGに沿って機能も移動してIIをドミナントとするしかない? それだとどうなんでしょうね。。。あ、普通に他の階から借りてくればいいのか、つまりメジャーから。

そういえば以前、PrinceのBambiのなんちゃ分析したとき、ブルーススケール(VIIが♭するミクソリディアン)がダイアトニックに入るとか入らないとかいう話があった。

Cメジャー(GのIV)/リディアン、ミクソリディアン入り
C△7 Dm7 Em7 F△7 G7 Am7 Bm7-5(メジャー)
C△7 D7 Em7 Fm7-5 G△7 Am7 Bm7(リディアン)
C7 Dm7 Em7-5 Fm7 Gm7 Am7 B♭△7(ミクソリディアン)
Cm7 Dm7-5 E♭△7 Fm7 Gm7 A♭△7 B♭7(ナチュラルマイナー)
..
..

注)リディアン、ミクソリディアンのコードは自分で拾ったので間違ってるかも。

こうやってモードを追加していくと7階建てメジャーになるが、それが以前言っていたやがて7階建てになるということでもないような気がする。


他にも(一見話が脱線しているようにみえるほど)様々な角度から説明してくれるのだが、それらが基本的に随分前に教えてもらった内容を元にしていて、如何にこれまで基本的なことを教わってきているのかが再認識されると同時に、それらが本当に”基本”であり、こうしてより高度な話の基礎になっていることがよく分かって、その納得感がより理解を深める重しのような役割をしている。いや〜さすがだ。感服。






2013年11月4日月曜日

「宇宙をプログラムする宇宙」を読みながらのロギングまたはジャーナル2


カップヌードルの最後の豚肉?の一欠片の不味いことと言ったらない。本当、止めてほしい。どうしてわざわざ不味いものを作る必要があるのか。サディスティックであるから、という以外に理由が思いつかない。


P55 「合理性が自己言及と相まって、われわれの行動を本質的に矛盾した不確実なものにするのである。」

という文自体が矛盾している。合理性とは何か?という点で、狭い範囲の合理性を選んでいることが問題。自己言及は無限だが螺旋でもある。つまり、最初に何があったか、神か、ビットか。結局そこにたどり着くわけで、時間軸を無視した静的な考えに、そもそも「矛盾」を導く合理性はない(合理性がなければ矛盾もない)。矛盾するのは合理性が限定的だからだ。

物事(つまりエネルギー)は時間とともに変化する。昨日の自分と今日の自分は違うのだ。

P56 「コンピュータをプログラミングして〜(中略)〜人間に近づいているのである」

だんだん疲れてきた。これは何だ? それは評価基準の問題でしかない。何を言いたいのかといえば恐らく、予測不可能だということだろう。そんなことは自明だ。せめてなぜ予測不可能なのか、あるいは予測可能だと誤解してしまうのか、ならまだましと思うが。

なぜコンピュータを何かこう、絶対論理の守護神のような扱いを前提にするのだろう。誰もそんなことは思っちゃいないと思うのだが。間違ってるのに、わざわざ合ってると仮定すると矛盾するから間違ってる、と言われてもねえ。。。最初から間違ってるんだから。

戻ってP55、「論理的に行動したときにこそ、われわれの振る舞いは予測不可能になるものだ」ってじゃあなに、ランダムに行動したときこそ予測可能になるといの? そうは言ってないんだよね? わけわかんない。前提が間違ってるんだよ前提が。論理的に行動すれば予測可能になりそうだ、という前提が。論理的行動と、予測可能性の相関なんて、どこにも示されてないじゃん。せめてベルの不等式みたいな、予測可能/不可能と論理を結びつける範囲を明確に示す不等式が必要だと思う。

P57 まぐわう
初めて聞いた。

P58 「ビッグバンと呼ばれる巨大な爆発で誕生した」
え? インフレーションは無視ですか? まあ『光速より速い光』という本にあるようにインフレーション理論でなくてもいいのだが、ビックバンから始めるのはどうなんだろう。最初にビットありき、で語るには、無(ゼロ)のすぐ次から始めなくてはならないのではないか?

「なぜ宇宙はこれほどまでに複雑なのか」
それは単に、人間の思考能力が及ばないから。なぜそんなに人間の思考能力を絶賛するのか。例えば無限に大きく見える巨大な数字。それがどうした? 人間の四則演算力の限界を遥かに超える計算が必要だとして、何が問題なのか。1024bitの暗号解読に何年もかかる? だから?  裏を返せば、宇宙はもっと複雑でなければならない、どうしてこんなに単純なのか?とも言えるではないか。つまり、複雑さが問題なのではない。その複雑に感じる要因の1つ1つになぜそうなっているのか、が問題なだけだ。例えば宇宙の全部の星が100兆個の100兆倍あると推定されたとしよう。そこで問題なのはその数が人間の思考上巨大だということではない。なぜその数になったか、だ。100個しか無い、なんていったら明らかに間違ってると思うだろう。でも確認が難しい答えが出た時、その大きさではなく正確さが問題なのだ。

人間の能力を基準にする意味はどこにあるのか。全く理解できない。


あ、っとここで、全然関係ない本『量子のからみあう宇宙』というだいぶ前に読んだ本の中であった、量子通信(と呼んだかどうかは定かでないが要するに絡み合う量子の一方が動くと他方が瞬間的につまり時間ゼロで動く)が相対性理論の光速の制限を破るという話のなかで、とはいえ、その情報を伝えるには結局光速以下で通信するしかないので、問題ないといった内容だった。でその時いい説明が見つからなかったのだが、この本を読みながら不意に浮かんだのでメモ。

天王星に基地があり、敵と交戦中だとする。ここで地球にある本部に、敵が天王星の基地に向け、地球の軌道上にいる敵宇宙船から光速ミサイルを発射したという連絡が入った。発射されたのは30分前。天王星は今、地球から27億kmの距離に位置している。つまり電磁波で通信すると150分もかかってしまう。光速ミサイルは文字通り光速にほぼ近い速度で
航行するので、2時間後には基地が吹き飛ばされるだろう。何せ我々には敵ミサイルを撃ち落とす能力が無いのだ。逃げるしかない。

こんなとき、量子通信があれば大丈夫。なにせ一瞬で伝わるのだから。モノは運べないが情報なら運べる。これは相対性理論を破っているのではないか?

しかしこの本を読んだことでたった今気づいたのは、正に今自分が書いた「モノは運べないが情報なら運べる」ということ、かもしれない。

ただそれでも納得できているわけではない。以前は絡み合った量子というのは、実際繋がっていると思っていた。つまりニコイチになっているのだ。相対論的空間上では離れているので、そうでない”何か”、それが相対論的空間では見えないしかし同一の入れ物に入っている、あるいは表は離れているけど裏は繋がっている、そんな感じ。


P75 「おおざっぱにいうと〜」
やっと話が本筋に来た、ということで今までの前置きは聞き流しておけば良かったと後悔。でも大雑把な説明すら意味不明というか、そもそも「量子をシミュレート」というと何か矛盾を感じてしまう。不確定性原理に支配されたもののシミュレートが何を意味し、どう役立つのか。それはこの先を読んで行くしかない。面白くなってきた。


P84まで
エネルギーには方向がある。言葉としては人間が認識しているだけかもしれないが、例え生き物がいなくても方向はあった。つまりエネルギーはそれが”どちらか向いている方向に対しての力”だからだ。温度は振動数ともいえる(と思う)。それは”何か”が”動いている”ということだが、さらにそれは”空間”と”時間”があってこそだ。初めにエネルギーが生まれた時、空間も生まれた。これはどちらが先なのか。もし宇宙の誕生が”裂け目”だとしたら、わずかに空間が先ということになる。振動する隙間がなければ振動は生まれない。

今までエネルギーが保存されることにしか頭が行っていなかったが、確かに”向き”がないと意味がない。そしてその向きとは、今風位に言えば(実際には大昔からあるのだろうが)”情報”なのか? はっきり言い切れない(?がつく)のは単に違和感(ジャストフィットしない)があるからだが。

ところでタイプライターをランダムに叩くサルというのは実にナンセンスな考えだ。だが考えてみなければ分からない。ナンセンスにみえて、実は違った、ということも世の中にはまああるものだから。しかし(まだこの時点ではイメージできないし直感的には間違っていると思うが)"計算(Compute)”というのが”プログラム”で表現できるというのはその通りかもしれない。世の中は”折り畳まれている”と言ったのがプランクだったかドーキンス(の本に出てくる誰か)だったかは忘れたが、これを”プログラム”という概念で置き換えるのは今はぼんやりしていて出来ない。出来ないというより、何か間違っている、足りない感じがするのだ。非常に近いが、肝心な”何か”が抜けているような気がして、まったくすっきりしない(=ぼんやり)。

コンピュータにはそれ本体と、それが実行するプログラムの2つがある。だがプログラムは時に暴走するし、コンピュータ本体の違いもある。コンピュータをたたくサルでさえ、それがランダムなら今の宇宙の形になるとは思えない。つまり、折り畳まれるとは思えない。そこが何か足りないと感じる部分ではないだろうか。

ただ1つ(今の時点で)言えるのは、この人の言う計算とはプログラムを実行するという意味だろうということ。宇宙は量子コンピュータで、量子プログラムを実行している。そしてそれはランダムに行われてきた(サルがコンピュータをたたいてきた)、と言っているのだ。そして宇宙という量子コンピュータは、常に自分自身をアップデートするようになっていて、量子プログラムの実行結果が自分自身を改造する。改造された宇宙はさらにプログラムの実行を繰り返す。ああ、プログラム自体もだ。プログラム自体もアップデートされる。そうして問題なのは、宇宙と宇宙プログラムとの間には境目がないことだ。Macなら本体とプログラムの違いは明確だ。しかし宇宙はそうではない。それにMacを作るには結局人が介在するが、宇宙は自分ひとりで全部やっている。しかも本体自体、どこまでが一体でどこまでが部品なのか、あまり明確な区別がない。確かに物質化していったりした時点で、まるでライブラリやアプリケーションのように、部分化していっているとは言えるし、それにより機能が折り畳まれて行くのは確かだ。確かなのだが。。。まだ何か足りない。

う〜ん、納得はできないが、だんだん見えてきた。

P87 宇宙の計算の仕方
というのは恐らく、宇宙コンピュータと宇宙プログラムのセットのこと。


P88 「個々の物理系はあるビットの情報を持っていて〜」
熱力学の第二法則のエントロピーの増大をもっと正確にいうと、物理系の持っている情報量は(そのタイナミクスにより)増えることはあっても減ることはない、という主旨のことを言っていると思うが、とすれば情報の所有者は誰か? 情報が増えるのは想像に難くないが、それは互いに影響し合うのだから、情報としてはどう行き来し、結局ある瞬間において、情報の所有者は明確に決まるのだろうか。決まらないとおかしいとは思うのだが、増えるということは、最大容量があるように見えるが、現時点が常に最小値で、増えて行くと、現時点の値が更新されるので、最大容量もまた増えて行くことになる。エネルギーは変わらず情報だけが増えていくのであれば、それは一体どういうことなのか。どこに記録されると見なしているのか。

そして自分にはものを折り畳みたくなる性質(性格)がある。自分が宇宙コンピュータの結果(過程)なのだから、これは実は自分の意思というより、プログラムということになる。つまり、自分は必然的にそういう性質を受け継いでいるのだ。これはおそらく、逃れられない。折り畳まない側の人もいるかもしれない。あるいは自分の中に折り畳みたくない自分も同居している可能性もある(どこがそれに当たるのかははっきりしないが、そんな気がする)。それはエントロピーとの関係が分かれば明らかになるだろう。

P91  中性子とクオークの比率が、人と中性子の比率よりさらに小さい
昔から換算アプリを作りたかったが(例えば東京ドーム何個分とか、富士山と同じ高さとか、そういうこと)、このアプリが言う「クオークに例えると…」というくだりはきっと面白いと思う。

中性子に口を割らすというのは、ある意味拷問みたいなものだとも言える。中性子が痛がってるかどうかは分からないし、そうは見えない(または見ないようにしている)かもしれないが、まるで天使の頭のいろんな箇所を金属のような棒で指すという拷問で、天使の秘密を吐かせた悪魔のようではないか。

もし中性子が痛いといったら実験をやめるだろうか。動物実験をやるのだからそれはないな。だって君の中には原子以外、何があるっていうのだ? 何もないじゃないか。そして中性子は原子(核)の構成要素だ。君が痛みを感じる時、それは中性子が一役買っているのは間違いない。だったら中性子が痛いと言っているのかもしれないじゃないか。

(追記)とはいえ、痛いというのはアプリケーション(少なくともライブラリ)レベルだから、論理ゲート的かせいぜいアセンブラの命令レベルの位置づけの汎用性の高い中性子に痛いというのはおかしいといえばおかしい。じゃあいつ痛いは生まれるのか? それはそういうプログラムを書いたとき、だろうなあ。だけれども、元を正せばということはあるわけだし、実際壊れたりすれば、「壊れる前に言えよ〜」とかいうことになって、研究したら壊れるときに発するなにか特徴が見つかって、それを痛いに割り当てる、な〜んてことがなきにしもあらず。(追記)

ちょっと戻って同じP91 電子は同時に多くの場所を占めざるを得ない
量子力学は確率でだいたいこの辺にいるとしか言えないだけかと思っていたが、同時にいるというのはすごいことだし分かりやすい。なぜ量子力学の入門書はもっと、最初からこの重要かつ単純明快な概念を強調しないのだろうか!(もっとも今の時点でその同時の意味が分かってないのだが)




P136 「干渉パターンを壊すには、どんなに小さくても何らかの系が、粒子の位置に関する情報を得るだけでいい」
やっと量子力学の見えるの正体が明かされた。これは素晴らしいんじゃないかい? まだ100%ではないが、これはいけそうな気がする。
位置に関する情報を得る。つまりこのことが何かを引き起こす。でもまだ分からないのが縞模様が具体的にどういう波で出来るのか、つまり写真乾板に1個の電子が当たった時、なぜそれはどちらかが先に位置を得ないのか。スリットがどんな物質で、波としてすり抜ける時、そこではどういう形態を取っているのか。電子1個が両方を通ったとすると、干渉模様を作ったエネルギーは半分づつに別れているのか?(それはおかしくない?)

いずれにしても、見えるというのは、位置情報を得る、ということで、その詳細がどうなっているのかが分かればもっとよく分かってくると思う。量子コンピュータのプログラムコードの1つ、位置情報取得APIが呼ばれると、呼ばれた側の粒子はどうなるのか。そのエネルギーは?

バッキーボールやバクテリアの実験も調べる必要がある。

P136〜 干渉性の消失
ちょっと前のページ(どこか忘れた)で波は粒子の集まりというような話があった。ということは、この電子、波でいるときは粒子が集まっていると仮想できるかもしれない(できないかもしれない)。例えるなら(あまりいい例えではないが)タンカー(電子のエネルギー本体)を大勢のタグボートが引っ張ってる感じ。検出器はタグボートを切り離してしまい、タンカーは惰性で決まった方向にすすむ。

波といっても、よく考えれば、二重スリットによる電子のまるで波のような動きは、波だという証拠とは限らない。というより電子は電子乾板に向かって走っている(移動している)。ここで二重スリットがおそらく100重でも同じような結果になるのだろう。しかし地球の裏側まで干渉するわけではない。電子の航路が干渉されるには範囲があるはずだ。実際、実験に際しては、スリットの最大間隔を把握しているのだと思う(ここまでは登場していないしこの先でて来るかどうかは分からないが)。波がぶつかったような航路を取っているというだけだ。つまりタグボートのスリットに影響されたぶつかり方が波になるだけだ。だから電子がそういう航路を取ったことは間違いないが、タグボート1つ1つが電子のパーツというわけではないだろう。つまり電子がさらに小さい粒子になっているというわけではないということだ(想像)。ではタグボートの正体は何だろう?というのは置いておいて、電子本体であるタンカーの動き方を発射から電子乾板まで追ってみると、2つ考えられる。1つは波のように潰れて扇形に広がって進んでいる状態。もう1つは、1つ1つのタグボートを1ステップづつ移動しながらジグザグに移動している状態。ジグザグというのはおかしなようだが、電子の航路を測定すると、タグボートを破壊するので、その先の航路は1つしかなくなる。だからまっすぐ動いているようにみえる。もし量子的干渉をせずに電子の動きが詳細にわかる悪魔がいたとしたら、そうみえても不思議はない。もう1つ電子が粒状になるというのを考えると、「切れている」ということなので、いつ一つにまとまるのかが問題になるので、少なくとも1つめの横に繋がった状態かのどちらかではないかと思う。

まさに古典コンピュータで言えば、タイムシェアリングによるマルチタスキングか、コードを分散して並列処理するか(ただしプログラムは一本)。

電子は電子乾板に当たった時にはどこか1つに実体化するわけで、スリットを両方通ったからと言って、2つに分割されず、1つの点に当たるわけだから、途中、両方に実在するというのはどうにも変だ。もしそうだとすると、先の悪魔がみた場合、電子のエネルギーは、途中、半分になっている。それはおかしい。なぜならスリットを100万個ならべたら、1個が100万分の1になるということだ。それはいかにもおかしいというか怪しい。あ、逆にどこまでスリットを増やせるのかというのと、もしエネルギーが分割されるとするとどこまで小さく出来るのか、という別の知りたい事が出てくる(それが間違っていると言ってるわけではない)。

で、検出器を詳しく知らないといけないのだが、じゃあ例えば電子を放ってからスリットを通過するまでの間の”適当な”区間だけ検出器をONにしたらどうなるのか? つまりタグボートを壊すのは、検出器とどういう位置関係にあるときなのか。それというのも実はここでもう一つの電子の航路の取り方が考えられるからだが、この実験をぜひやりたい。

それと電子の移動と検出器(というか位置を読んで波動関数を収縮させる装置)をON/OFFするタイミングは、例えば電子がスリットを通った直後や電子乾板に当たる直前とか、いろいろやってみることだ。スリットの直後ならまだタグボートは干渉していない部分が沢山残っている(全部残っているタイミングもあるだろう)。


電子線路。

電子は力が加わる(運動エネルギー?)と、その可能な航路が空間上に作られるというもの。まさに線路が引かれるのだ。そうすると線路は二重スリットを通ってぶつかり、いくつかが壊れてしまい、縞模様になる航路しか残らなくなる。だから逆を言えば、運動エネルギーを加えるということは、線路を引くという行為に等しい。まあ、ちょっとイメージはし辛いが、そもそも空間はデジタルに区切られている。とするとそれは一本一本の線というか、3次元で見れば立方体のマス目がずらっと並んでいるとも言える。力を加えるとう行為は、その先にある立方体の扉を開く行為だとは言えないだろうか。立方体と言ったが、その間は実際”無”だと思う。だから最初の立方体に張り付いていた物体(の粒子)に力が加わると、可能性のある箱の扉の鍵が開けられる。鍵が開くだけで扉は閉まっている。で実際に物体がくっ付き、他の力関係との兼ね合いで進むべき方向の扉が開くのではないか。それを量子レベルで位置を観測しようとうすると、物体がくっついている扉以外の鍵が全部ロックされる。

マクロな物体の原子間の隙間も、実は同じような箱になっていて、絶えず運動エネルギーに従って開いたり閉まったりするのではないだろうか。で、位置を読むという行為は、鍵を(それが分かる数分)開けて、残りを閉めるということになるのではないか。

んーちょっと突拍子もない感じはあるなあ。

自分としては一番簡単そうなタグボート説を選んでおこう。何れにしても同時に2カ所に出現するように見える(決して実体化しているわけではない)のは、その2カ所(もしくはそれ以上の出現可能な場所)を行ったり来たり、転々としていると考えれば済む。

二重スリット実験はどういう装置があれば出来るのか。またはどこへ行けばやらせてもらえるのか。料金は?

どこかそういう施設がありそうだが、調べてみよう。


P139 シュテルン・ゲルラッハ装置
これも調べる。



P152 「絡み合いと遠隔作用は関係ない」
えーーー!!? じゃボブとアリスの実験は何? ちょっと後でどういうことか、あっちの本で確認しよう。この人の説明じゃあベルの不等式すら関係なくなるじゃないか。何言ってるんだろう?

それに絡み合った一方のスピンを動かすと、他方も動くのではなかったか?

全く分からん。


P155 シュレーディンガーの猫登場

さあ、予想はしていなかったが、最初の方でメモったシュレーディンガーの猫が登場した。P152からのショックで、ここまでの話は飛ばしている。いまから読むところなので、この先の話は見えていない。さて、猫の健康状態と絡み合いはどう説明されるだろうか。

P158 「検出器があるせいで〜干渉し合うことはないのだ」
いや、だから、検出器があるときはいいんだよ。ないときに、電子乾板に電子が当たるまでの間、電子はどういう生活を送っていたのか?ということだ。縞模様がどういう電子の実体(エネルギーの方)の経路を示しているかは疑問だが、少なくとも本当に両方のスリットを同時に通っていると思っているなら(自分はそうは思っていない。タグボートが通るだけだ)、検出器のない状態で、両方のスリットを通った瞬間の電子の状態をちゃんと説明してほしいなあ。

まったく問題をなかったかのようにする人だ。

あれ、シュレーディンガー方程式が出てこないまま、いきなりシュレーディンガーの猫という問題を提唱したへんな奴的な扱いで出てきてる(「この厄介な側面を大げさに採りあげ(注:漢字これでいいの?)」と言っている)。相当シュレーディンガーが嫌いなんだろうなあ。


P161 「ニューヨークの街中には、何もない空中に話しかけながらふらついている人がたくさんいる。」

笑っちゃいけないが、笑ってしまった。それよりこんなこと書いていいのか!(笑)と、また笑ってしまったが、何なんだろう(笑った自分に対して)。しかもこの後P162で「ニューヨークのホームレスと話すのとは違って、返ってくるのは真実の答だ。」と来たもんだ。引き合いに出す話だろうか。他にも言いようはあるだろうに。

P165
もし原子が絡み合った光子を吸収するとどうなるのか?

どうしてレーザーを当てて第一励起から第二励起に行かず、基底状態に戻るのか?


P188 「量子コンピュータは汎用量子シミュレータであって、そのダイナミクスはどんな物理的ダイナミクスをも模倣できるということである。」

でも同じ時間かかるんじゃないの? 例えば今の宇宙をシミュレーションするには、150億年かかるんじゃないかってこと。「量子コンピュータをそれがシミュレートする系の区別がつかない」って言ってるしね。古典コンピュータのシミュレートは途中をはしょって結果だけ得ることも出来るし、デバッグで使うような類のものは大抵そうではないだろうか。例えば途中で1秒ウェイトしたら、単にウエイトしたことにする、こともできる(し実際にウエイトさせることもできる)。

要するに現在の宇宙を作るのに、実際に宇宙を作るのか?それとも本当にシミュレートすることで、例えば7日で宇宙を作れるようになるのか?(原理的に)

P192 計算する宇宙の歴史(ヘッダ)の前までに続いて
だが量子コンピュータがコンピュータと呼ばれるためには、量子プログラムが必要だ。それが予め組み込まれたもの、というのは悪くはないのだが、コンピュータがコンピュートするというとき、それは任意のプログラム、すなわち人のような意図をもった何者かが設定(インストール)したプログラムを実行しなくてはならないと思う。もし宇宙が量子コンピュータであっても、誰も何もプログラムをインストールしていないのであれば、それは単に宇宙だ。

それに繰り返しになるが、宇宙をシミュレートするのに宇宙と同じキュビットを持つなら、来年の宇宙がどうなってるか「聞いた」瞬間、計算は終わってしまう。

因数分解する量子コンピュータだって、機械らしく何らかの箱詰め(建物を含む)になってるだろう。その中に整然とキュビットを並べ、淡々とプログラムをインストールし、実行させ、最終結果が出るのをひたすら待つ(といっても有用な計算が短時間で終わるなら大した待たないだろうが)。

それがデカくなっても決して宇宙にはならないのだから、この説明はちょっとおかしい。

今気づいた。「天は二物を与えず」
これは位置と速度のことを言っているのか?


シュレーディンガーが生涯を通じてコペンハーゲン解釈と和解することはなかったらしいということやアインシュタインがシュレーディンガー方程式を絶賛したらしいことも著者がシュレーディンガーをよく言わない要因なのか。


他世界解釈において、そもそも、電子が二つ(の世界)に収縮するなら、エネルギーが半分(それ以上のnに分散していれば1/n)にならないとおかしい。ところが実在する側の現実で収縮する電子は1のエネルギーを持っているはずなので、この考えは間違っている。とすれば、重ね合わせの状態にある電子は、n倍のエネルギー量を持っているか? それも間違いだろう。恐らく他世界解釈がエネルギーとして矛盾しないためには、はじめから他世界と絡み合っているというか、絡み合う時点でn世界が合成されていなければならないのではないだろうか。で収縮した際、お互いの世界に戻る。であればエネルギー量的な問題は起こらない。それに、収縮した際に別世界にいく電子は、あくまでその時点で他世界に行く訳で、そこまでの世界が何か丸ごとついて行くわけではない。とすると、他世界というのは、電子1個の実に寂しい世界ということになる。それが悪いとは言わないが、電子1個の世界ってどうなってるの?空間的な広がりとか。まさかそこからビッグバンが始まるとか(笑)。


量子通信の例えで、何も危機回避なんて子供っぽい話を持ち出す必要はまるでなかった。現在の通信では何時間とか何日もかかるような探査機との通信に量子通信を使えば、リアルタイムに探査機を制御できるし、探査機が得た情報もリアルタイムに送ることができる。シリアル通信なら線は2本とか4本でいいのだから、絡み合った量子のセットもたった4つでいい。それで送信側と受信側のペアを2組(予備を除く)作って、地球と探査機にそれぞれ1つづつ載せればいい。これで双方向通信が可能になる。

問題は『量子のからみあう宇宙』で言っていることをもう一度確認しなければならないということ。この著者は絡み合った量子とはいえ、一方の量子だけからは何も得られないとしている。だが確かにEPRの話では、片方の量子のスピンを変えると、相手のスピンが変わるのではなかったか? ボブとアリスの実験ではそうだったような気がする。ただMITの教授がそんなHEMAをするはずがないという根拠において、自分な何をどう読み違えたのだろうか? しかもこの本にはベルの不等式やそれに基づく量子の絡み合いの検証実験の話もまったく出てこないのだ。これほど重大な事件だというのに。

まてよ、この人の書いている文章(訳)をもう一度読んでみよう。
「第一のスピンを測定するだけで第二のスピンの状態が変わることはない」
でも第二のスピンを測定すれば、第一のスピンの状態がわかる。だから地球に第一が、探査船に第二のスピンがあれば、少なくともこの瞬間、探査船には第一のスピンの状態が分かる。予め時計を合わせておけば、その時計の信頼性のかぎりにおいて、瞬時にというには多少の実験誤差はあるだろうが、十分離れた距離(例えばこの本のように4光年はなれていれば、1日やそこらの余裕は十分にある)、つまり今日第一スピンを測る予定だったら、アルファケンタウリ近郊の探査船は24時間遅れの明日測ることにすればいい。何なら1年後でもさほど問題はないだろう。そうすれば間違いなく情報が伝わったことは確認できる(それを地球で理解するには光速以上の時間がかかるが)。”確定した時点で伝わっていた”ことに違いはない(とこの本でも言っている。ただこれは収縮なのだろうか?(第一が収縮したとき、第二は収縮するのか、それとも選択肢はないのに収縮していないのか? でもそれじゃあ箱に紅白の玉を入れて、白が出たから残りは赤だけど箱に入っているから箱から出すまで赤かどうか決まってないといってるようなものだ)

ただこれだけだと通信は出来ない(だからといって光速より速く情報が伝わった事実は揺るがない)。

で『量子のからみあう宇宙』をざっと見直してみたが、確かにアリスは情報を選べないので通信は出来ないようなことが書いてある。ヨシヤバテ。p244「絡み合った粒子は空間を超越する」とか「物理的距離には影響を受けない」ともある。しかし先に書いたように”情報が光速以上で伝わる”とは書いていない。それが1回きりの出来事で、折角超越した空間も閉じてしまうというのならしょうがない。とはいえ、その空間を超越した物理的に影響を受けない絡み合った系というのが何者なのか、言い換えればなぜ絡み合うのか、なぜ複数の重ね合わせ状態になるのかが分かってない以上、タグボートにメッセージを載せることが不可能だとは言い切れないのではないだろうか。

P231 量子ゆらぎ
最初の量子の重ね合わせは何重だったのか? 干渉性を失った歴史というのが、あくまで1つの粒子についてでしかないことについて説明がないのはなぜだろう? 八岐の園は他世界解釈的には生まれようがない。だがまるで干渉性の消滅が別世界を作り出すかのような説明の中では、全宇宙まるごとあるような記述にみえる。

それにコンピュータを打つサルを考えるまでもなく、機能性が折り畳まれることは直感的に(というのは論理的にうまく言葉にできないからだが)自明だ。もちろん科学的であるためにはサルのような理屈を示さなければならないのかもしれないが。

おそらく問題は、重力という空間を形作るものが量子ゆらぎの時点で明確に対で説明されていないからだが、概要的に説明した量子重力論の中に書かれているとしたら、それがどの部分か、まるで分からない(ま、自分に分からないのは当然といわれてしまえばそれまで)。

逆を言えば、もっと詳細に時間軸に沿ってフローチャートのように手順とリソースが示されれば、理解は簡単になるのに、と思う。量子は突然やってきて、重力はどのタイミングでどうなっていて、揺らいだ振動が拡散していくなかで、その連鎖反応がそれ以前にはなかった新しいコマンドを生み出す。それは「初めに量子ありき」が通用するのであれば、同じ理屈で新しいコマンドが生まれることは、何も不思議ではないのだから。

量子論ではないが、自然界には自己相似形が蔓延しているわけで、生物レベルでみれば自然淘汰という「結果」が最終的な「今」を表現しているように、量子あるいは原子といったレベルで自然淘汰(量子的突然変異)が起きた結果として今があってもいい。


0と1の重ね合わせは、単にそれより小さい2ビットの組み合わせの1つだともいえる。ただしその2ビットは相手とは違う値を示すことで、1ビットのように振る舞う。どうして量子ビット数が1であることに拘るのか分からないが、量子より小さな値は「見えない」のだから、それが存在しないと考えるよりは合理的だと思うのだが。量子の波にしてもマクロな波は粒子の集まりであるとしながら、量子の波はそれ以下の粒子の集まりだと、なぜ言えないのだろうか。見えないのはいい。だが想像はいくらでもできるはずだ。見えない2ビットが見える1ビットを構成していたとして、何が問題なのだろうか。


読み終えた。
途中、ロギングできないまま読んだ部分もたくさんある。メールにロギングしてこっちに書いてない部分もある。ロギングするのは主に何処に何が書いてあったか忘れてしまうのと、そのときどう思ったかを忘れてしまうからだが、ロギングしている間にそうした考えが分からなくなってしまうこともある。ミイラ取りがミイラになるように。

だが計算する宇宙の計算とは、平たく言えば変化するということだろう。なぜ変化するのかということが、量子のゆらぎや、この本ではそれが何者か、そしてどこから来たのかよく見えなかった重力との関係性で、キュビットの論理演算とその蓄積として示されている。

変化をするというのは、心理的あるいは直感的に自明だ。サメが常に泳いでいるように、止まっていることは無理だと思わせるには十分な風が吹いているからだ。そして変化が指数関数的に増えそうだということも経験的に感じている。天文学的巨大数字を持ち出すまでもなく、無限ループはいくらでも巨大で複雑なものを作り上げる。もちろん記録するには情報量があり、この本でさかんにビットといっているように二進数でそれを表現すれば、それは何かとても明確になるのは間違いないだろう。

しかし関数のように、折り畳まれてしまえば、そのレベルは新しいレイヤになる。通信上のレイヤなどと同じことで、何か情報を交換しようとしたら、お互いに理解し合えなければならないし、情報はいくらでも変形できるので、違うレイヤ間で情報交換するために、一方のレイヤから他方のレイヤに変形することで、様々なレイヤ間で最終的には情報交換、あるいは伝達が可能だ(もちろんすべてではなく、不可逆のような一方通行も在り得るだろう)。

総じて大きな疑問は2つ?
二重スリットを通る電子などの粒子が、物理的にどういう状態にいるのか。
収縮するという測定は、言い換えれば局在化させているということだし、例えば普段は波として在って、あるとき(測定すると呼ばれる具体的な行為により)局在化するのはいいのだが、その間、スリットの手前から向こう側へどうやって移動しているのかということ。スリットの壁は電子を跳ね返すからこそ開いている穴を通るのだし、2つの穴を同時に通るとき、それは物理的に分割されているのか、それともスリット間をゴムのように伸び切った状態で繋がっていて、電子乾板にぶつかって局在化した瞬間、局在化した側が引っ張られて1つにまとまるのか? あるいは別な物理的でないどこかを通って(しかしスリットの壁で局在化してしまうような通り抜けはできない)1つにまとまるのか? スリットはいくつまで作れるのか、0と1の重ね合わせは1ビットという関数であって実は内部では2ビットではないのか? などといったこと。

もう1つは他世界解釈で、1つの電子が収縮したからといって、それまですでに実在化しているものを引き連れて他世界に行くのはどう考えてもおかしいし、じゃあ目の色の違う著者とこっちの世界が収縮した1個の電子以外の部分を共有しているのかというと、それもその後の系がぐじゃぐじゃになるのでありえない。なのになぜ収縮から先に宇宙全体がまるで枝分かれするような解釈になるのか?(前述の通り)

自然淘汰とは、結局、「結果」のことだ。それはまさに盲目の時計職人とRドーキンス氏が例えたように、人間風に言う意図的なプログラムによるプリントアウトではないことを示しているだけで、それが本当に量子のゆらぎに端を発して起きたと証明する計算が必要なのかは疑問だが、それが科学ということなのかもしれない。なぜ起きたかは分からないけど、起こっても不思議はないと思うのに今分かっている”情報”だけでは不十分なのだろうか。

いずれにしても、結局、全人類(科学者限定でもいい)が納得するたった1つの正解は得られていないということで、それが得られるとは思えない。

宇宙は量子演算を行っているが、それはエネルギーの変化の仕方の見方でしかない。ただ繰り返しになるが、エネルギーの向きが具体的に何か線路のようなものなのか、タグボートのようなものなのか、そこは依然気になるところ。


実は、量子は圧縮されてたりして。局在化が解凍。
要するになぜ重ね合わせの”波”の状態になっているのか、説明してくれていない。なので重ね合わせになったのは実は後からという見方。


空間とは実に厄介だ。試しに何も無い空間に質問してみよう。

「温度は?」
「ゼロ」

「長さは?」
「長さって?」
「じゃあ上向きの」
「上って?」
「…とにかく何でもいいから長さと聞かれたら?」
「ゼロ」

「何か値はないの?」
「値って?」
「量だよ」
「何の?」
「君(空間)のさ!」
「僕は空っぽ。なんにも無い。逆にどんな値なら”有る”と思う? 僕は”無い”と思うけど」

つまり空間は”無い”と考えるしか無い。距離があるように見えるのはあくまで相対的なものでしかない。だから初めに空間が出来たというのは間違いで、今も昔も空間など無い。


どこかに「ゼロの次は1だから、無から何かが生まれるのは何も不思議なことじゃない」といったことが書かれていた。それは詭弁だ。試しに1の次はどうして2なのか考えてみよう。1が2つ生まれたらそれを足せば2になる。でもその為には1が2つ同時に生まれなければならない。まあそれはいいとしよう。今度は3か4だ。同じ原理で1が4つ生まれていれば、2が2つ足されて4になったり、2+1で3になった後、3+1で4になったりする。だがそれらは常に”無”から生まれてこなければならない。だとしたら、未だに無から1が生まれ続けているはずだ。なぜか? もしそうでないとしたらいつ、何が、何個生まれたか、説明できなければならないからだ。そんなことは恐らくできないだろう。そして勝手に生まれるのだから、勝手に消えてもおかしくはない。

逆に無限にほど近い大きなものが、次々分割されていくのであれば、生まれるのは最初のデカい奴だけでいい。ところがこの本では”最初は1ビットだった”と言っている。しかも重ね合わせだから量は2だ。そもそも2つの値が局在化するまでは同時に存在しているといいながら、それを1ビットというのは無理矢理すぎる。前述のように、少なくとも1ビットという関数の中で実は2ビット使って2つの値を返している、とか、高速で0と1が切り替わっているといった、定義に則した合理的な考えが必要だ。どう転んでも1ビットは1ビット。これ(ビット)は概念であって物質ではない。1つの桁には0か1かのどちらかの値しか取れないのが2進数のはずではないか?

確かに情報は増えているように見えるが、逆に最初からビットが必要分あり、単に上位の値が0だったとしても同じことだ。


人間という量子コンピュータアプリケーションが何かを解釈するには、それ自体が解釈できる必要がある。想像力の限界だ。しかし人間は変化(進化/退化)する。昨日の限界は明日も有効であるとは限らないが無効であるとも限らない。

物質的エネルギーの増分を重力が補う、つまり物質的エネルギーがプラスで重力がマイナスといったような内容が何処かに合ったと思うが、見つからない。そのためのログだったのに、肝心なところを逃してしまった。日本語版も電子ブックであればと思うのだが、英語版で理解できないのが問題だとも言える。それはさておき、もしプラスのエネルギーとマイナスのエネルギーが釣り合って総和がゼロなのだとしたら、最初に1が生まれたのではなく、+1と−1に枝分かれしたということだが、それはそれで数字上のつじつまは合っている。振動するのは重力のせいで、重力が空間。重力が無ければ振動しない。

シュレーディンガーの猫にしろ、二重スリットにしろ、重ね合わせの状態が収縮した後の電子は「そこ」に局在化しており、もう重ね合わせの状態ではない。最初にシュレーディンガーの猫の話を聞いたときは、「見る」という行為が人間の視力を指しているかのような表現だった(中には月は見たときに実在するという話まで飛び出していた)ので、なんでそんな”馬鹿げた”話になったのかは依然として不明だ。高名な学者がいうのだから、どこかに”馬鹿げてはいない”まともな理屈があるはずだが、あまりに馬鹿馬鹿しくて追いかける気がまったくしない。


不気味な相互作用(遠隔作用/Spooky Interaction)の件で、一方を測っても他方を測るまでは分からないからだという答えだったが、最初に測ったほうは”何がでるか確率は1/2なのに、次に測る方1/1になる。答えを人間が知るには光速以下の時間がかかるとしても、確率が固定されるのはやはり最初の粒子を測った瞬間であり、それを確かめるのに時間がかかるだけで、不気味な相互作用は空間には依存しない。つまり、絡み合った系は不可分で、絡み合い状態を解くことが目的なら、それはゼロ時間で可能だ。だがそれが解けたかどうかは分からないので、その情報も使えない。もっとこの絡み合いを利用して何か別な面白い情報が得られるような発見が必要で、それはまったく無い(永久に発見されようがない)のかもしれない。例えば絡み合った量子コンピュータを並列に動かすとか。一方を測定すると他方は測らなくても自動的にNOTを示すことになるので、その性質を利用するのが何か役に立つのであれば、その計算時間はゼロになる。



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2013年11月3日日曜日

「宇宙をプログラムする宇宙」を読みながらのロギングまたはジャーナル

2016/11/23 修正
1. https対応(amazonのリンクを変更)
2. 誤字を修正( (halt,ht)->hlt, sloop->eloop)



前置き。




いつのまにか本棚に出現したこの本。買った覚えはない。もちろん盗んだ覚えも。でも確か、本棚を整理していたとき、カバーがかけてあってタイトルが分からない本を片っ端から(カバーを)剥いていたときに出てきたきがする。


で、そのとき、滅多に読まない本の棚に置かれていたのだが、この前さらに本棚を整理したとき、さすがに情報が古すぎて捨てざるを得ない本をまとめている時、また自分の前に現れて、お、こんな本あったんだ。これは読まねば、と思って、そのうち読む本の列に加わっていたのだが、訳有って昨日から読み始めている。

いつのもことだが、こういう本は読んだ端から疑問だらけで、自分のほうが偉いと錯覚してしまう。なのでブログに文字通りロギングしてみようとしているところ。「またはジャーナル」と付いているのは単なるおまけで、昔はログとは言わず、ジャーナルと言っていたプロジェクトがあったので。

金融系の人が初めて制御系をやったときのプロジェクトなのだが、もしかしたらジャーナルという表現のほうが当たっているかもしれない、と思ったので。


ロギング開始

P16、自己紹介の前まで。

計算を定義せよ。とは口癖だが(正確には「〜(なになに)を定義せよ。」が口癖。実際に口から声を出すわけではないが)、計算とは?

ここで10歳ぐらいの少年に戻って博士に質問してみた。ねー博士、計算って答えを出すためにやるんじゃないの? 宇宙がさー、もし計算してるんなら、何の答えを出そうとしているの?

これはいい。少年に戻ると、質問が非常に分かりやすくなる。

例えばコンピュータが暴走していたら、それは「計算」していると言えるだろうか? まずは原文ではどういう言葉を使っているのか、調べる必要がある。

(追記)amazon.comでkindleを探したらあったので10.7ドル(1051円@今日)で買おうとしたが、思いとどまってamazon.co.jpで探したら981円で売ってたのでレート的に有利なこっちで購入。計算は"compute"だった。つまり計算機の計算。辞書でcalcurateを見ると、正確に計算する時はcomputeとある。(追記)




でさー、僕も宇宙の一部だよね? じゃ僕も何か計算してるんだ。僕は何を計算しているの? 宇宙は宇宙を計算するっていうけど、僕は僕を計算してる、じゃおかしいよね?

計算というのは何か専門的な言い回しなのかもしれないが、今のところ抽象的すぎてこうした質問が浮かんでしまう。

こんなことを考えていると、シュレーディンガーの猫にツッコミが入った。

もし箱に閉じ込められた猫が、重ね合わせの結果(収束)により放たれたガスによって死ぬまで、”だいたい”10時間かかったら、それでも猫は生と死の重ね合わせの状態にあると言えるのか? で、もし、”だいたい”8時間後までの間に猫を救出し解毒剤を投与できたら助かるとしたら、その重ね合わせはどこへ行くのか? あるいはどう変化するのか? そもそもこの猫の”重ね合わさった”生と死とは?

そして、”だいたい”といったのには訳があって、それは猫の実験を何万匹もやったら、そうした時間は非常にアバウトになる、ということもあるが、それより、1匹の猫に注目した時、その日の体調などによって死に至る時間や助かる限界時間が左右されるはずだ。としたら、過去に遡って、あるいは未来に向かって、重ね合わせはどう影響するのか。実験台に立ったのが口がきける猫だったとして、助かった後「いや〜今日は体調がよくて助かったよ。もし昨日ならきっと持たなかったと思う。確実に死んでいたね。」な〜んて言ったら、本当にこの猫に重ね合わせの状態は存在したのだろうか。

もう1つ、ガスが放たれる直前に自然死したらどうなるのか?

こんなことを言い出したら切りがない。つまり、話をすっ飛ばすと、重ね合わせの状態は観測した瞬間に決定する、のではなく、初めから決まっているのだ。観測することも含めて。

(私が読んだ本には、月は見た瞬間実在する、とかなんとか、おかしなことを言う物理学者がいたように確か書かれていて、よくそれで物理学者が勤まるなあと思った覚えがある)

でなければ、重ね合わせ状態はどう伝搬されるというのか? 特により大きな塊(大きな力で巨視的には結合しているもの)の範囲で。



P22、音子ってなんだ? つまり、どうして音を特別扱いするのか。音自体は物質ではないはずなのに。


p24 『年齢に関わらず本書を読み終える頃には、〜(中略)〜原子に単純な計算をやってもらう方法が、理解できていることだろう』

原題は「PROGRAMING THE UNIVERSE」だ。確かに本書の初めの方で宇宙は宇宙を計算していると言っているが、「宇宙をプログラムする宇宙」というのは、この本の目的から外れすぎている感じがすごくする。

P26 ゼロの発明と10進数は同時なの? 昔から桁っていうのは10進だったの? それとも12とか60とか? ソロバンが先らしいというなら、せめてその進数も書いて欲しかったなあ。

P29 性は楽しいだけでなく、工学的にも優れている
どうもこういう言い回しには反感を覚えてしまう。楽しいと工学的に優れているのは不可分なはずだ。楽しいだけで終わっていたら、長続きしない。長続きしているもので、楽しくないものって何かあるの? 苦痛? それを言ったら性的暴行の被害者は楽しくないじゃないか。

P29 自然淘汰
いいですねこの訳最高です! 最近、自然選択という言葉遣いが散見されるにつけ、少々嫌気がさしてきているので。

選択などという弱々しい訳は全く持ってふさわしくないし、恐らくnatural selectionは、悪魔に使える牧師たるダーウィンにすれば、god's selectionに対する皮肉が込められてる気がしてならない。我々は選ばれたのではない。ただ生き残ったに過ぎないのだ。そう、単なる結果だ。Wikipediaに至っては、「本項では原語に従って「自然選択」で統一する。」などといっているが、selectionは選択が必ずしも原語に従った適訳とは限らない。どうしても選ぶという言葉を使いたいなら、せめて厳選とか精選にすべきだろう。そもそも淘汰という稀に見る広く普及している適訳があるのに、わざわざ「原語に従って」選択などという薄っぺらい凡庸な言葉にする意味が明記されてもいない。独善的と断ずる他あるまい。恐らく(勝手な想像だが)、これを書いた人物は、自分が選ばれたと思いたいのだろう。もしそうだとしたら、それは大きな間違いだ。まったく早くWikipediaのような、勝手な編集管理者が牛耳る全く自由でない編集百科に取って代わる、真に自由なサービスを立ち上げる必要がある。その意味でWikipediaは反面教師として素晴らしい。一体どうやって編集管理者(出入り禁止にしたりする人たち/ちなみに自分は出入り禁止になっているわけではない)が決まっているのだろうか。そんな権限を持つ人間がいるのを一概に悪いとは言わないが、自由な編集を騙るのは止めてもらいたいものだ。Wikipediaは、あくまでWikipediaが許可した文章しか載らないのだ。後から削除されるものが、削除されるまでの間自由に編集できるからといって、それを盾に自由に編集に参加できるというのはおかしい。

(※WikipediaでWikipediaをひくと、冒頭、「誰もが無料で自由に編集に参加できる。」とある。これは「誰もが無料でWikipediaの編集規約(基準)や管理人による管理下の元、自由意志で編集に関わることが出来る」のように、明確に書くベきで、百科事典という立場上、意味に関して、そして最も重要な自分自身の定義について、紛らわしい抽象的な”自由”という言葉を使うべきではない。)


ちょっと戻るが、P28 「性を持たないバクテリアが適合するには〜」と、P29の「定義上、成功した生物とは〜」(この下りは素晴らしい。そう、まず何事も定義する(系を決める)ことが先決で重要)を合わせて考えてみると、おかしなことに気づく。バクテリアにしろウィルスにしろ、人間が彼らより成功しているとは言えないということに。それどころか、人間はいつエボラウィルスのような最強最悪のウィルスで絶滅するとも限らないではないか(可能性は低いかもしれないが)。

菌にしてもMRSAのように、抗生物質に対し、悠々と耐性を獲得するものが出てきている。だから性機能が優秀というのは認めるとしても、それはそれでしかない。つまり定義上の成功に対する中間結果として、一定の過去を評価することは出来ても、せいぜいそこまでが限界だ。

そして、人間は決して、彼らより成功している訳ではない。

P36 精度(今はP38上)
有限であることが精度に依存するというのは新しい見方/説明だ。なるほど。だが関数はどうだ? 無限という関数は、それでも有限の値しか扱えないと言い切れるだろうか? 確かに測定する時間的制約の元では、その範囲で扱える精度が決まるような気はする。がしかし、それはちょっと、時間に対して静的過ぎはしないだろうか。

P40 どうもユニークなIDの桁数とそれを同時に存在させることの説明がごっちゃになっている気がする。例えばDNAが小さいのはそれ自身が小さいからで、アミノ酸が4種類の塩基3つセットから組み立てられた、64文字(4の3乗)で構成される、というのとはイコールではない。つまり実際の遺伝子(DNA鎖)の作用は、その1つ1つに重要な機能が折り畳まれているからであって、何でもかんでも64文字あれば記述できるというわけでもない。アルファベット26文字で記述できる文章は無限的だが、ヒトゲノムのように2万1千単語で人が作れるわけでもないし、ましてやランダムに並んだ文字は暗号でもなければ情報とはおそらく言えないだろう。これもまた情報の定義によるわけだが。

P43 コンピュータプログラムに曖昧さがない
それはJavaなどを指しているというだけで、ここでは単に説明しているだけだから、別段突っ込む必要はないといえばない。だが、「あくまでJavaとか」の言語の話であって、この先誰かが(例えば自分が)作るであろう、曖昧な意味を持つ言語とそのコンパイラ(あるいはインタプリタ)のことではない、という断るまでもない断り。

P54 停止問題
自分は停止問題の何が問題なのか、どうしても理解できない大馬鹿ものである。「プログラムが停止するかどうかを見極めるにはそれを走らせてただ見守るしかない」それはウソだ。確かに未知の動きをするインタプリタとそれ用の言語で書かれたプログラムなら動かしてみる以外にどう動くか分からないのだからそうかもしれない。でももしそうなら、停止問題なんてわざわざ言わなくても、分かるわけがないことは自明だ。

だがそれが「プログラムがフリーズしたときの慰めになる」と言うなら、少なくとも既知のプログラムの問題だ。

で、「このプログラムにバグが無いか」という問題なら、カバレッジが無限になる(量子力学的には有限なの?)からという理由で答えられないということはある。しかしそれは別に停止問題ではないし。むしろ鶏が先か卵が先か問題で考えた方が分かりやすい。バグの無いプログラムか調べるにはバグの無いデバッガが必要だが、そのバグの無いデバッガにバグがないことを証明するにはさらにバグの無い別なデバッガが必要だ、そしてこの連鎖に終わりはない、という理屈だ。だがそれは数学を借りずとも論理として自明だし、単にバグがないことを証明できないだけであって、バグのないプログラムが書ける可能性は理論上在り得る。つまり、数学的に不可能だと証明することはできない、ということだ。もちろんそれが実現可能かどうかは別問題。あくまで停止問題として不可能が証明されているというのが納得いかないだけ。つまり言い換えれば、停止問題は数学上の問題であって、物理的な現実の言い訳として、停止問題が解けないからバグは無くならない、という文脈では使えないのではないか、ということ。

ということで、停止問題を解くプログラムMを作って、耐久性を測るコンテストをやればいいのではないだろうか。無事故の連続時間みたいに、このプログラムに挑戦するプログラムAを与えて、停止する/しないの答えを得るのだ。Mは決められた時間(例えば3秒間)動作中のプログレスを更新しないと暴走とみなされ、失格する。また最初に自身の終了予定時間を出し、それを超えると失格。終了予定時間を出すまでの時間は、Mに入力するプログラムのサイズによって機械的に決められ、その時間内に出せないと失格。後は実際にAを実行し、停止しないと判断した場合はコンテストが継続する間、半永久的に実行され、コンテストが継続する間止まらなければ、Mは停止問題を解けないとは断言できない、という中途半端な称号を得られる。停止すると判断した場合は、同時にAが停止する予定時間を出さなければならない。そしてその停止時間までAを実行し、それ以前に停止すれば、Mは停止問題を解けないとは断言できないという称号を得られる。そうでなければ失格。まずは命令の種類の少ないCPUのアセンブラから。4ビットマイコンとかどうだろう。いや、いっそ、1ビットの仮想CPUを作って、gotoとstopの命令しかなくしたらどうだ? それだとプログラムを入力できないか。どっちにしてもまずコンピュータが正しく動いていることを証明できないと停止問題に入れない。前提もおかしいということになる。

なので、プログラムが入力できて、それを読めて、とかいう諸条件をまず定義して、そこから停止問題に入って行って、最も命令数が少なくて済むコンピュータを考えて、プログラムのステップ数もギリギリ少なくしか書けないような仕様にして、でやればいい。相手は数学なんだから、物理的にいくら小さくても構わないはずだ。で、この本は量子力学の本で、物事は有限だと言っているんだから、このコンピュータで記述可能なプログラムの種類が有限であっても文句はあるまい。

そうすれば、前述の終了時間を出すとかいう面倒くさいことはしなくても、仕様として制限時間が決められるし、あ、何よりプログラムの種類が有限なのだから、机上チェックで答え合わせができるはずだ。

ということで、話を整理すると、検査対象のプログラムの置き場所は決まっていて、コンピュータはそのアドレスから読む命令を持っている。停止するプログラムと停止しないプログラムの両方が記述可能。そうするとloopとhltがまず必要。それと条件分岐、プログラムカウンタ。

スタートすると、検査対象プログラムの命令コードを1個読む。命令コードにより分岐する。hltなら結果レジスタに1をセットする命令yes、hltの2つ。eloopだったら結果レジスタに0をセットする命令no、hltの2つ。readなら命令の読み出しは4つスキップされる。しかし最大7ワードなので、残りワード数が4つない場合は、結果レジスタに自動的に1をセットしてhltする。yesなら1つスキップ、noなら1つスキップ。で、Hのコードはread,yes,hlt,no,hlt,yes,hlt.

read
yes
no
hlt
eloop

の5種類。プログラムは7ワードしか置けない。

とすると、組み合わせは5の7乗で78,125通り。げ。もっと少なくしよう。

readとhltとeloopだけ。結果レジスタはreadがセットする。
命令は2ワードしか置けない。

判定結果は結果レジスタにセットされる。
結果レジスタは、未設定(3または2)、停止する(1)、停止しない(0)の3つの状態を表示可能。
判定対象プログラムをセットする領域(メモリ)を2ワード持っている。
判定対象プログラムを読み出す命令read用に読み出しカウンタを持っている。
読み出しカウンタは0,1,2の3つの状態を持つことができる。
Mは起動すると、結果レジスタを未設定にし、読み出しカウンタを0にセットし、開始番地にある命令コードを逐次実行する。
命令コードはread,hlt,eloopの3つ。ただしreadには2つの命令コードが割り当てられ、どちらも全く同じ動きをする。
Mはread,hltのみ。
readはreadが出ると、1ワードスキップ。命令は最大2ワードなので、
2ワード目の場合は結果レジスタに1をセットしてhlt
hltが出ると結果レジスタに1をセットしてhlt
eloopが出ると結果レジスタに0をセットしてhlt

そうすると? 組み合わせは3の2乗で9通り。

  1    2    結果レジスタ
1 read read  1
2 read hlt  1
3 read eloop  0
4 hlt read  1
5 hlt  hlt     1
6 hlt eloop  1
7 eloop read 0
8 eloop hlt     0
9 eloop eloop  0


この中でMは2番。MにMを含むどのプログラムを入力しても必ず停止する。

あとはこの機械がMたるかどうかが、対角線論法とやらで証明されたとされる停止問題上、対象外とされる理由があるかどうか。任意のプログラムは入れられるし、停止するプログラムも無限ループするプログラムも書ける。ちゃんと答えも返せる。あと足りないとしたら何かあるだろうか。

あと疑問なのは、例えばこちらの説明の1.ように、Mが無限ループに入る、というのがおかしい。Mは必ず停止する。問題の定義から、Mはあくまであらゆるプログラムが停止するか否かを判定する機械であるのだから、それ自身が無限ループする場合と停止する場合があるプログラムである必要は全く無い。

さて仕様のまとめ。
Mは任意のプログラムをチェックし、それが停止するかしないかを判定する機械。

構成:
自プログラムメモリ(2ビット2ワード)
判定対象プログラムメモリ(2ビット2ワード)
結果レジスタ(2ビット/PIO出力)
動作状態レジスタ(2ビット/PIO出力)
ループ相対カウンタレジスタ(8ビット/PIO出力)
read用読み出しカウンタ(2ビット)
命令実行ユニット
自プログラムメモリ設定インタフェース(DIPSW)
判定対象プログラム設定インタフェース(DIPSW)

read:命令コード00(B) または 01(B)
動作概要:判定対象プログラム領域から読み出しカウンタの示す命令コードを1ワード取得し、取得したコードに応じた処理を行う。
(1) 読み出しカウンタの値をチェックし、2であれば結果レジスタに2(動作不良)をセットし、停止する。
(2) 読み出しカウンタ位置から命令コードを取得する。命令コードに応じて次の処理を行う。
  (a) readであれば、読み出しカウンタを+1し、値が2であれば、結果レジスタに1(停止する)を設定し、停止する。そうでなければ再び命令コードを取得し、それに応じた処理を行う。
  (b) hltであれば、結果レジスタに1(停止する)をセットし、停止する。
  (c) eloopであれば、結果レジスタに2(停止しない)をセットし、停止する。

hlt:命令コード10(B)
動作概要:停止する。
(1) 動作状態レジスタに1(停止)をセットする。
(2) 停止する。

eloop:命令コード11(B)
動作概要:無限ループする。
(1) 動作状態レジスタに2(動作中)をセットする。
(2) ループ相対カウンタレジスタを+1する。
(3) 1秒ウェイトする。
(4) (2)に戻る。

以上。




2013年9月16日月曜日

Trainwreck with Les paul '59



実はこれ、こちらのサイトに貼ってあったもの。VOX Tonelab STのレビューを探していて見つけたのだが、何とも素晴らしい音! これがギターなのか。

'59のレスポールも当然素晴らしいのだろうが、このTrainwreckというアンプ。シミュレータとはいえ、1万円を切るマルチエフェクタ&アンプシミュレータに付いてるとあっては、どんな音か聞かずにはいられまい。

ちなみにLine6 のオーディオインタフェース: Sonic portが何処行っても11940円。iPhone/iPadを持っているひとはそう変わらない値段だが(それにそもそもオーディオインタフェースなんだし)、これでPOD2.0をiOS上で再現したアプリより「安い」のですよ本当に。

しかもこちらのレビューを拝見するとさらに77使い(というほど全く使えていませんが)としてはますます迷う。

ちなみに77のおまけで頂いたVOX Pathfinder10が以外と良く、しかもこのルックスが非常に好みという、そんな自分にはTonelabのルックスもまた然りな訳で。

と、思ったら、上位機種のEXがなんと、12500円。単純により重いとかよりデカいという重要なネガがあるものの、エフェクトが多いとか、ベダルのネガが多少改善されているとか、まあ、3000円未満の差となれば、悩むのも仕方ないところ。

さてどうなることやら。

Fender Bassboyも試してみたいしなあ。



うちのSONY BRAVIAをぶっ壊したい

どうしてお前はそんなにバカなのか。

お、気がつけばもうCLが始まるじゃないか! これは予約しなければ、と予約しようとすると、未契約だから

「予約できない」

と抜かしやがる。

誰が見るっていった? 予約だよ予約。先に予約してから始まるまでに契約すれば済む話だろう?


そもそも番組表自体、たった一週間分しかない。だからそれ以上先の番組は番組表からは録画できないのだ。番組はもう決まっているというのにだ。

アプリキャストなんて下らないものをやってる暇があったら、決まった番組端から先取りするのが賢い番組表だろう。とはいえ、大した賢いわけじゃない。ただ今までのダイヤル式のチャンネルしかないブラウン管テレビに比べれば、という程度でしかない。

が、しかしだ。それすらも出来ない。これがバカと言わずして他に表現しようがあるだろうか。

しかも起動が遅い。計ったことはないが、とにかく遅すぎて話にならない。一体起動するまで、何をそんなにやることがあるというのだ? おそらく無駄な待ちが多過ぎるのだろう。何てったって、契約してないと、予約すら出来ないのだから。何でもかんでも無駄に揃ってないとマトモに動かない作りになっていることは容易に想像がつく。

因にHDDに録画する場合も、ディスクによって手動録画はうまく行くのに、タイマ録画はうまく行かないことが頻発したことがある。恐らくタイミングの問題だろう。タイマ録画は当然半分スリープ状態になっている。だから例によって録画に必要な何かの起動が遅くて間に合わないときに、ちょっといけてないディスクだと失敗するのだ。

もちろんこれは勝手な憶測にすぎない。修理も呼んだが、基盤交換が必要で、交換するとそれまで録画した映像が一切見れなくなってしまうという「殺るか殺られるか」の選択を迫られたので諦めたのだが、他のディスクに代えて問題なく録画できるようになったものの、結局前のディスクは再生できなくなってしまった。はっきりした原因は分からないが、その後Macに繋いである程度の容量(250GBぐらい)を書き込んだ後、書き込みエラーが発生してしまったので、ディスクの問題はそれはそれであったと思う。ただしそれまで書き込んだデータは読めるので、ブラビアで再生できなくなる必然性はないはずだ。一体どんなファイル管理をしているのか。ただただ呆れるしかない。

そんなブラビアには今のところ輪ゴムを投げつけるしか出来ないが(それでも液晶がたわんで一瞬ビビる)、新しいTVを買ったら絶対粉々にしてやりたい(もちろん冗談だ)。


2013年9月13日金曜日

kindleダメ出し

iOS Programming: The Big Nerd Ranch ....

1. 紙の本ならヘッダに章とかセクションとかのタイトルが書いてあって、自分が読んでいるところがどの辺かが何となく分かる。が、それが何もない。どころか、誰のためのものなのか、No xxxx が表示される。ページ番号も別に表示されるから、知ってる人はともかく、本を読むためにkindleを使い始めた人には、原則分からないはずだ。

そんな小賢しいものより、普通に章とか節のタイトルを表示しない理由が分からないし、不便。

2. もしやと思って目次を表示したら、はずれだったので、前のページに戻ろうとしたけど戻れない。ちょうどあるメソッドを検索していたので、再度検索結果を表示すれば早く戻れるかもしれないと思ったが、クリアされていた。普通にページをめくっているだけでは最後の検索結果が残っている。意味が分からない。バグ?

3. 文字のコピーができない。tweetやfacebookへの転送はできるのに(ライセンスどうなってるんだろう?)。これじゃあ同じ単語から検索できない(わざわざ手入力が必要)じゃないか。ブラウザだって単語を選んだら「Googleで検索」に行けるのに。


2013年9月9日月曜日

line6 mobile POD のアンプモデルと元になったアンプの対応表

聞くところによると、mobile PODは、実機版のPOD2.0と同じらしい。

で、POD2.0の英語マニュアルの"POD 2.0 Advanced Guide"にリンクされているPDFに、モデル名とその元になったアンプの対応表が出ている。

一応Fender Bassmanが載っているが、それ以外に基本ベースアンプなものが載っていない。とはいえ、立ってるものは親でも使えというように、ギターアンプであろうと、シミュレータなのだからインピーダンスが合わないとか、ヘッドやスピーカが壊れるといった心配はしなくていい(シミュレータの音を外部に繋いだら知らないよ)のだから、気に入ったのなら遠慮なく使おう。

でも自分は多分買わないと思う。買うといってもアプリは無料。ただハードウェア※がないと使えないので、このアプリのためにハードウェアを買おうと思ったらかなり高額だ。

「アプリを試す」モードで4パターンのフレーズが入っていて、実際に試せるのはいい。自分の録音した生音が使えればモアベター。音作りをやる際に”弾かなくても”ある程度煮詰めることができるというのは結構使えると思う。

あとエンジニアリングというか、(これはマシン負荷にもよるが)生音とパッチを録音して、後でエフェクトだけ変更するとか。

※2013/9/10現在、sonic port または mobile in がないと使えない。

2013年8月19日月曜日

2013年7月29日月曜日

Nat King Coleが聴けるということは?



 『粋な夜電波』のセットリストからYouTubeを検索して初めて観た。表情がいい。ピアノがいい。優雅な時代。それは表面的にだろうか。夢のような。

おそらくそれは、年齢のせい。十代の頃は絶対かったるくて聴かなかっただろう。実際、もしこれが今、クルマのラジオで鳴っていたとしても絶対可笑しい。おまえ気は確かか?(笑)と言うに違いない。


ところで今更気づいたのだが、Bloggerはラベルを共有できない。何故か?  共有するしないは選べるにしても(共有を拒否する理由はあまり思いつかないが)、ラベルの効果を高くすると思うのだが。

例えば他に誰かBloggerで同じラベルを付けている記事は見たいと思うと思うけど。

それと自動的に検索キーワードを気に入ったらラベルにしてしまうことも。

そう考えると、ラベルが検索上全く意味をなしていないということだろうなあ。


2013年7月17日水曜日

海外ドラマ: ザ・フォロイング

ザ・と気合い入っているが、例によってTVのシナリオらしく、穴だらけで面白くないどころか、カルトの広告のような番組。

ケビン・ベーコンが好きだから観てみたが、そしてもしかしたら何か変わるかもしれないと第二話に期待して観ようとしているが、おそらく裏切られるだろう。

世の中何かがおかしい。こんなカルトな番組がTVになるとは。ひょっとしたらプロデューサーが信者なのかもしれない。


例えばだ。
脱獄したのだから、看守が共犯だと分かる前から刑務所に出入りする人間は全員疑うべきだ。しかも実際共犯だと分かったのだから、それ以降、誰も信じないのが普通。これは鉄則だろう。そして関係者を徹底的に洗う。だからこそ刑務所で主犯教祖に面会した女性を全員呼んでいる。しかし何故か女性限定だ。そして後になってゲイを装って被害者に近づいていた隣人が信者だと分かるが、そいつらも実は刑務所に面会に行ってる事実が明るみに出る。ありえなさすぎる展開。

これだけでも酷いのに、その隣人がグルだと分かったら、いままでノーマークだった全関係者を監視し、その間、徹底的に再調査すべきだ。特に主犯教祖が捕まった後、関係を持った人間は尚更徹底する必要がある。ところが、またしても身近な人間が実は信者だという展開の繰り返し。

はっきり言って、馬鹿。

というか、おそらくネタはCSI科学捜査班(オリジナルのべガス編)のパクリだろう。それか実際にそういう事件があったか。ただ実際こういう事件があって、FBIが捜査し、こんな間抜けな捜査をしていたら、現実は小説より奇なりだ。

せめてTVシリーズではなく、映画で無難に纏めるべきだった。カルトなんだから。わざわざ映画をレンタルしたか、映画館に行った人間だけが観ればいい。最近はTVのほうが儲かるのか。いや、そうなの?

まあとにかく、例の映画はまず小説を書いてということだったので、小説を書くよ。その前にアプリだが。



2013年7月11日木曜日

Brazil

 

『未来世紀ブラジル(原題:Brazil)』を観直した。

いやあ、こんな素晴らしい映画だったのか?
全然記憶にない。

ギリアムと言えば、『12モンキーズ』を観たときのことを思い出す。

あのとき自分はブラッドピットとアンライスのファンのためのメーリングリストを購読していて、最初映画館で観た直後は、ひどい映画だと思っていて、その意見にずいぶん自信を持っていたのだが、(確か)あるときそのメーリングリストの主催者の1人の方が、テーマソングである『What a wonderful world』の歌詞の日本語訳をどこかに書いてくれて、それを読んだ瞬間、自分が180度間違っていたことに気づいたのだ。


つまり、映画の中の救いのなさに対して自分は映画として価値がないと断罪していたのだが、それこそギリアムの表現なのだ。その解釈が、釣りあげた白い長靴に白いマジックで”タイタニック号”と書いて「タイタニック号を引き上げた!」と叫んでいるのだとしても。

未来世紀ブラジルも、ストーリーにおいて、何の救いもない、アンハッピーエンドというよりさらに酷い、映画を観たビフォー/アフターで怒り以外何も生まないかのような体裁を敢えてとっているのは、それが映画だからなのだ。

自分たちは少なくとも現実の社会で生きている”前提”でいる。であれば、ハッピーエンドは、映画の中ではなく、現実の社会で得られるべきだろう? そう聞こえてくる。彼が実際何といっているかは(自分には)この際どうでもいい。

もし現実が幸せで満ちあふれていて、何の不満もなければ、現実逃避としての映画は、不幸であるべきだろう。

幸せは現実の社会の中でつかむべきなのだ。

もし世の中が映画のように不幸だと思うなら、映画の中の主人公のように、幻想の中にではなく、もっとリアルに生き生きとした実体験の中でこそ、幸せになるべきではないだろうか。

どんな人生だろうと不正解はない。だが実際、君はどう在りたいのだ?

ギリアムの映画は、それを辛辣に、そして芸術的に突きつけてくれている。


P.S. 未来世紀ブラジルという邦題について
素晴らしいタイトルだと思う。しかし一方で、原題がこのテーマ曲にギリアムの思いが重ねられていることを考えれば、『ブラジル』のほうがいいと思うというか、自分なら『ブラジル』にしたと思う。とはいえ、繰り返しになるけども"未来世紀"という歪(いびつ)さが、それはそれでメタファとも言え、そういう意味で素晴らしいと思うのだ。もしかしたらブラジルが使えない理由があったのかもしれないし。

DVDレンタル:200円(5本で1000円)
評価:500円
 

2013年7月7日日曜日

KORG monotron DELAY & mini kaosspad 2


まず驚くのがmonotronの音質。

アナログ音源というか、KORGのこの音源。この艶といったら、iPhone4SやiPad miniでanimoogを起動したぐらいでは到底再現できない。もしかしたらMS-20アプリなら近い音色になるのかもしれないが、あいにくアプリを持っていない。速攻で手に入れたいところだが、いろいろセット販売があったりして買い方を迷っているところ。

とはいえ、AKAIのSYNTHSTATION25では遠く及ばず、animoogでも基本的に及ばないこの艶。だからアナログ音源はシミュレートするのではなく、外部に実音源を持って、それをMIDIで制御するでいいと思う。


そしてmini kaosspad 2。

最初、ずうっとkaossilatorだと思い込んでいた自分。恥ずかしい。
これはエフェクターなのだが、エフェクト具合をXYパッドで滑らかに制御できる。基本的にはDJで使うことを前提にしているものの、ベースに繋いで、足でコントロールすることもできる。そしてこれが最高に狂っている。音質もかなりいい。iPhone/iPadアプリもあればいいと思うのだが、今のところKORGでは出していないよう。他にLiveFXという類似アプリがある。これ実は無料版を随分前に落としていたのだが、デモ音源しか使えなかったのでほったらかしにしておいたのだが、今ひとつプリセットの使い勝手が良くない。まあ使いこなせてないだけなのだろうが、かかりも何かなあ、kaosspadほどの感激がないというか。



2013年7月5日金曜日

ペン大 7月1回目

Human genome printed

 いや〜実に久々の、しかもオルタードドミナントの回を3回も休んでしまったので、かなりヤバい状況を覚悟して行ったのだが、最高!の授業だった。嬉しい。珍しく授業内容を復習してしまった。

特にメモしておきたいのが、語学の例えで、

「ちっちゃい構文だけ覚えて後はベラベラしゃべって何となく骨組みが付いてくれば格好付くだろうといったような感じで」

という哲学的な部分。いかにもバイオロジカルな「生物!」という感じ、ですよねぇ。。う〜ん素晴らしい!

こういう素晴らしいスイッチがあちこちにあるわけですよ。まあ後はしまっとこ。

p.s.
オルタードドミナント、かっこいいわ。


2013年7月4日木曜日

今日のコピー

(かっこつけて可愛い子に振られる少年)

かっこつけるな。

(何かに真剣に打ち込む少年)

かっこよくなれ。

これを見ろ!

的な画像。

Trouble on the Strip

恐れ入った。

出来過ぎたバグ。

iOSのとろける地図*1というバグらしいが、ある種の超漸進的突然変異のよう。普通は大き過ぎる変化は疎まれる結果しか生まないが、稀にこういうエクセレントなことが起こる。100%ないということが"ない"証。

それにしてもすごいよねこれ。

参考記事:WIRED NEWS (US) / WIRED日本版(日本版にはこの画像は掲載されていない)

*1 自分が勝手に言っているだけ。念のため。




2013年7月3日水曜日

コーラヒーの美味しい作り方

夏に向けて、コーラヒーという、いかした飲み物を発見したので、その美味しい作り方をメモ。

  1. 美味しいスペシャリティコーヒーをアイスコーヒーモードで淹れる。
  2. そのままアイスオレにして飲んだり、ストロングモーニングで飲んだりして、ちょっと残しておく。
  3. そのまま散歩に行く(1時間半〜2時間)。
  4. 冷蔵庫からよく冷えたコーラを出して、そのままグラスに注いで飲むべきか、残しておいたコーヒーを飲むか、暫し迷う。
  5. そうだ、コーヒーをちょっと注いで、そこにコーラを入れたら苦みばしって良い感じになるんじゃないかと想像してみる。
  6. ものは試しとやってみる。最初はお試しなので、小さめのコーヒーカップで作る。
  7. 想像した味に照らし合わせながら、恐る恐る飲んでみる。
  8. お、思った以上に美味いじゃないか。じゃあ名前はマシュー・マコナヒーにちなんでコーラヒーにしよう。

本当に美味しいので、ぜひお試しあれ。

2013年7月2日火曜日

オブリビオン



美しい映画。

一言で言うと、オブリビオンはそういう映画だ。

その美しさは、美しい風景や建造物、登場人物とった美術的な美しさと、厳粛かつ透明度の高い、奥行き、広がりのある音楽的な美しさに、登場人物の少なさ、フィールドの狭さ、ストーリーの少なさといった、情報の少なさが、絶妙な、知的あるいは知覚的コントラストを生んでいるからだと思う。

間の美しさ。

まだ一度しか見ていないが、観る者にストーリーを想像で補なわせるので、話の面白さを100%映画から得るのは難しいだろう。だがむしろ、映画であるのに、紙芝居であるかのように、欠けた所がある、そういう足りなさが、逆に引きつける力を生んでいるような気がする。そう、これは何度でも繰り返し、

鑑賞する

ための映画だ。

だから、このBDが出たら、それを観るためのBDプレイヤーを買ってもいいのではないだろうか。いや、今からこれを口実に、伸ばし伸ばしにして来たBDレコーダーを買うべきかもしれない。

劇場: 1,800円(日劇)
評価: 1,800円


2013年6月29日土曜日

エスペランサ・スポルディング




うまいようでそれほどでもないように聞こえてしまうのはなぜか。

特にベースの音はとても粒立っていて独特だし、曲の、特にメロディラインの独創性が非常に高い印象を受けるのにだ。

歌に関して気づいたのが、声量。なめらかなビロードをビー玉が転がるような発声は見事だと思えるのだが、厚みがない。華奢。

そして彼女のルックス通りの音楽。曲自体が彼女の独特の笑顔そのもの。だから彼女の美人さや可愛さが、どこか物足りないと感じるように、音楽にも物足りなさを感じるのかもしれない。


2013年6月28日金曜日

Raulが英語でインタビューに答える超貴重映像



多分リーグ優勝を決めた試合?
Raulが英語でインタビューを受けて英語で答えている!
2つ目の質問では英語で答えられないからスペイン語で答えるというさすがぶり(笑)
4:14から。

2013年6月11日火曜日

神業

山木秀夫さんの演奏を観た瞬間、久々に思い出した。

 「神業」

 という言葉があることを。 

言葉ではまるで表現できない、あの無から有を紡ぎだすような、そう、あえて誤解を覚悟で言えば、アニメ『もののけ姫』の登場キャラクタ「シシ神」が、「ふっ」と息を吹きかけると、岩肌に草花が咲き、生命が生まれるかのように、そこに何とも言えない空間が生まれる。 

時空ドラマーは健在だった。

いやもちろん、一層磨きがかかったというよりか、熟達したというか、そう、だから「神業」という言葉が浮かぶ、それ。 

近すぎたせいか、今堀恒雄さんのギターの音程が全く聞き取れず、ライブとしてはちょっと困ってしまったが、神業に見とれるほうを選んでしまった。 

ただ何か見えない音楽を見いだそうとしているかのように見えた。

だから自分としては渡辺香津美+山木秀夫+〜というユニットを観たいのだが、そういう素人の次元には相容れない、欲求不満みたいなものが見えた気がする。きっと勘違いだろう。


2013年6月1日土曜日

メディアクリティークラボのその前に

美学校のメディアクリティークラボ受講を随分迷っていたが、奇しくも講義開始の前日に当の講師であられる大谷能生さん著『ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く』を入手(発売は前々日)するも、翌23日のメディアクリティークラボの参加はおろか見学も風邪のため出来ず、さらに翌24日の発売記念ライブで本にコラージュとサインを施してもらうこともできず、とはいえそのせいか、うまいことTipographicaの存在を知り、6/6のライブに実はその今堀恒雄さんこそがと日本が世界に誇るドラマー山木秀夫さんとのDuoのお相手だと分かり、『ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く』は自分の得るべくして得たアイテムのようになっている。つまりまずはこの本を制覇することからだろうと何となく思うような思わないような。

結局時間があればというより、この本を分解して再構築し、アプリにするというのは、何もこの本に限った事ではなく、かねてからのアプリの1つであるので、そのターゲットの一つとしてどのぐらいの優先度で扱うべきかという問題ではあるが(例えば優先すべき候補にはアンライスやRドーキンスらの本がある)、少なくともメディアクリティークラボを受講する前に、この本の情報の消化というのは優先されるべきではないかと思う。

それに、人に聞く前に自分で調べるという本来の自分の姿に戻るということも、この際少し考えた方がいい。

Tipographica

来週の山木秀夫さんのDuoのお相手が、Tipographicaの今堀恒雄さんであるということを、この間際のタイミングで知り、しかもそのTipographicaがやたら良い。

例の『〜(地獄へ)行く』の菊地成孔の項で初めて知ったという相変わらずの不届きぶり。

ライブはもう随分前に予約しているのだが、実はDuoのお相手を若手ギタリストと勘違いしていて、この本を読まなければ、現場で仰天していたか、風邪が治らず行けずじまいになったかもしれない。こうなったら何が何でも治す。


Amazonの視聴やらYouTubeにあるものなどを聴いて、これはなかなか良いと思ったので、AmazonからCD2枚と㈱システマさん(Wikipediaによると今堀さんの所属事務所らしい)でラストアルバムのFloating Opera(はまだ届いていない)を買ってみた。

とりあえずAmazonで仕入れた2枚を聴いてみたが、その超絶技巧やらアフリカンポリ由来の訛りだなんだは全く意に介さないところで、単純にいい。だから何がどういいのか説明できない。

例えばギターは、渡辺香津美さんに比べて淡白というか無表情で、感情がこもっていない(伝わってこない)。感情といっても色々あるので、語弊があるかもしれないが、いわゆる「感情の昂り」の感情。

でもそれがいい悪いに関係しない曲の絶対的な次元の違い。

とはいえ、これを渡辺香津美が弾いたらどうなるのか?というのは非常に興味深いし、想像で書き換えるとかなり危険な状態になる(なりそうだった)のでやめておく。

というか、(繰り返しになるが)これはこれでいいのだ。

こんな複雑怪奇っぽいポリリズムで、どうしてDCPRGはダメで、Tipographicaはいいのか。さっぱりわからないが、理屈はどうでもいいではないか。言うまでもなく。




2013年5月28日火曜日

コーマン帝国

WOWOWでロジャー・コーマン氏を取り上げた映画『コーマン帝国』が放送された。偶然ジャックニコルソンがインタビューに答えるシーンを見ていて、録画ボタンを押したのだが、後で観返すと、ジャックニコルソンさんの表情がとてもいい。

オスカーで特別功労賞を受賞したコーマン氏だが、式典に参列していた大勢のセレブの中から時折ジャックニコルソンさんの絵が抜かれており、それがまた実に嬉しそうな表情。

ついにオスカー像を受け取るシーンになると、正面から映し出されたジャックニコルソンさん、心底嬉しそうで見ているこっちまで嬉しくなってくる。

本当に素顔が撮れてるいい映画だと思った。

次の放送は、7月2日午前5時25分。お見逃し無く!

2013年5月25日土曜日

千のナイフ

さて、例の『〜(地獄へ)〜』の本で知った、『千のナイフ』を借りてきた。

坂本龍一さんのファンが自称坂本教信者というのがうなずける、ちょっとヤバい感じの音楽。

そのヤバさが違和感なのだろう。これは普通の音楽、身を委ねたくなるような、自分に対峙するものではなく、その中にとけ込んでしまいそうな危なさがある。

自分の音楽とは、これを聴いて初めて思ったが、あくまで自分と共鳴するものだ。常にそこに音楽と同時に自己がある。

ところが千のナイフは、何かこう、苫米地教授の作っているような、聴くと女性ホルモンが分泌されるとかいう科学的な仕掛けでもあるのではないかと思いたくなるような、よく考えられた環境のようで、呪文に近い。

共鳴ではなく、一体化。自己を喪失するのだ。

坂本さんの最近の韓国だったか?のUSTを聴いたときは、メルヘンだと思ったが、それはつまり、ある種のトリップを誘発するかのような、魔術的なものに由来していたのかもしれない。

※念のために書いておくが、魔術的と魔術とは異なる。坂本さんがウィザードだというつもりはない。

ちなみにこの曲の中で、渡辺香津美さんのギターが炸裂するのだが、聴いてすぐに分かってしまう、あの個性の強さは並々ならぬものがあり、ギターが入って来ると、そこは一瞬渡辺香津美の音楽に変わってしまう。なのにも関わらず、そのフレーズは、どうも坂本教信者と言わんがばかり。トリップしているのだ。もしかすると香津美さんも信者なのかもしれない。だから数少ないフォローに坂本さんが入っているのかも。

と穿った見方をしてしまうが、それとも香津美さんのギターにつられてトリップしたのは自分のほうなのか。

やばいやばい。

きっと風邪をひいているせいだろう。

2013年5月23日木曜日

ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く 2

ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く

大分具合が良くなりつつあるのを実感しつつ、机の上に放り出されている本を再びぱらぱらとめくると、"MIDI"の文字が目に留まる。

なんだろうこれは、とこの節の頭を探すと、なんと、我が音楽理論の先生、「菊地成孔」だった。菊地さんと大谷さんは盟友だそうだが、JAZZ DOMMUNE以上に印象的なのは、菊地さんがパニック障害だったときに、大谷さんが相当支えていたという話。ググっていたらここに動画がアップされていた。

面白いのはこのブログを書いてる人が、「しゃべりだすまで廃人のようだった」と述べている点。

いや、そんなことないですよ。

実際自分も最前列で観ていたのだが、まったく、そんな風には見えなかった。いつものようにきょとんとした何食わぬ余裕の風貌で、しかしそれなりにオシャレな格好をして、ふいっとコンビニにでも行ったのだろうか、アイスを買ってきて食べだすという、相当暑い日だったのは確かだが。

初めて見る人にはそんな風に見えるのだろうか。

いや、そんなことはないでしょう。

この二人が夫婦だとしたら絶対菊地さんが嫁さんだと思う。

まあそれはいいとして。

熱が下がったとはいえ、まだクラクラするので、読もうかどうしようか迷っている。先にちょっとコーディングして、だな。



ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く

自分はJAZZ DOMMUNEのファンだ。大谷能生さんを知ったのは、『憂鬱と官能を教えた学校TV』(フジテレビNEXT)でだが、そこでの存在感の無さは、あの番組自体がまるでペン大の授業のようだから(つまり菊地さんの授業だから)だと思う。加えて菊地さんから放たれている態度のデカさ。実際、目に見えて態度がデカいわけではないのが、そう感じさせる何か雰囲気があるのだろうか。よく分からない。

一方、JAZZ DOMMUNEは、DOMMUNEで不定期に開催される、なんだろう? 音と絵をごちゃまぜにしたお遊びとでもいえばいいのだろうか。全体がいいわけではなく、その中に時折偶発的に見え隠れする価値が面白い。ある意味、生物史と自己相似形ではないだろうか。

その中での大谷さんは、実に、その価値を支えるキーパーソンとなっており、むしろ菊地さんが一歩引いて、大谷さんに舵を取らせている感がある。もしくは菊地さんがターンテーブルで、大谷さんがその上で回る寿司、と言った方が良いだろうか。

何れにしても、毎回そんなものがあったのか!というネタのオンパレードだが(ただし絶対数はそれほど多くない)、とにかく面白いというより貴重な体験が出来るというところに自分は価値を置いている。

そんな大谷さんの音楽面での活動は数回しか見ていないが、サックスの独特な音がなかなか魅力的。とはいえ、正直に言えば、それ(サックスの音を除いた曲自体とかパフォーマンス自体とか)は自分にとっては(すくなくとも今のところ)あまり重要ではない。

で今回、『ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く』がこの5/21に発売され、その発売記念イベントで、この本を台紙にして何かやることによって、実際本に何か書き込まれ、ユニークになるというイベントがあるということと、氏の本も全く読んだことが無かったので、これを機会に買ってみた。

だが突然の高熱を発してしまい、イベントに行けるかどうか、微妙だ。この前美学校に見学に行ったときも、その後軽い打ち上げ的な場がその教室であったのだが、大谷さんは別件で先に帰ってしまい、具体的に「メディアクリティークラボ」について、伺うことが出来なかった。

その初回の授業が今日5/23にあるのだが、せっかく見学できるというのに、これも発熱の影響で断念せざるを得なそうだ。

どうも嫌われてるらしい。



坂本龍一編:
で、この本、当然、菊地さんによるとダダだという大谷さんの書を、頭から順に読む気などさらさらない。パラパラっとめくって目次にもどり、仕様書なるあとがきを読んで、もう一度目次に目をやると、”坂本龍一"という文字が目を引いた。

とにかく、自分は坂本龍一さんの音楽があまり好きではない。目を引いたのはだからだが、言葉で説明するのは難しい。まず最初にKILYNですら自分の中には入ってこなかった時点で何かあるのだろう。

で21ぐらいのときだったと思う。当時知り合った友人が坂本龍一さんの信者だというので、推奨アルバムを聞いてみたのだが、これがまた酷かった。タイトルも忘れてしまったが。でその次に聞いたのが「戦場のメリークリスマス」のあの曲だ。これも何とも言えない違和感があった。でその次がCMで一躍有名になった癒し系のピアノの曲。これもドラマの挿入歌っぽくてなんだかなあと。

そんな偏見を持った自分が、坂本龍一さんを濃密に理解されている大谷さんが解説したパートを読んだところで、ここには書けないような非難囂々しか出てこない。

恐らく、こんな風に音楽を自分に語った所でしょうがないのだ。音楽は音楽。観たり聴いたり演奏したりするもので、プロがその裏でどんなに凄い技を駆使しているか、などというのは、それ自体に興味がなければ(直接的には)相対的な価値は出てこない。

例えば面白いアプリがどうやって作られているか、とか、そこにどんな凄い気づきや発見的要素があるか、なんてことはどうでもいい。面白いか面白くないか、必要か必要でないか。まあそういったところだ。

とはいえ、『千のナイフ』はあればレンタルして聴く必要があるだろうなあ。それで考えが大きく変わる可能性もなきにしもあらず。

なんせプリンスでさえ、けなしたり絶賛したりだから。







2013年5月20日月曜日

iOSのスレッド

iOS Developer Library : MIDI Services Reference より引用

  "readProc will be called on a separate high-priority thread owned by CoreMIDI."

 high-priority thread。

常々スレッドがどうなっているのか、よく分からないまま後回しにしているがなるほど。WindowsにしろUnixにしろ今まで使う度に適当にいなしてきたが、久々に裸で割り込みレベルに合わせて作り込んで来た日々をちょっと思い出す。

後で真面目に調べよう。iOSのスレッド。

2013年5月19日日曜日

渡辺恒雄読売新聞会長兼主筆の違法行為を警視総監が指示(週刊文春より)


とある何気ない新卒の社員の何気ない質問に対する、質問者の心を考えない残念な回答。完全に自分で考える能力を失っているのではないだろうか。まるで大手新聞信者さながらだ。

ということで実は、「Yomiuri Onlineのコメントにかいま見る読者層」というタイトルでメモろうと思っていたのだが、

「ところでナベツネ氏が名誉毀損で告訴されたあれはどうなっただろ?」

とググってみたら、それとは関係ない驚きの記事を週刊文春Webで見つけてしまったのでメモ。

要は免許更新の際、違法なズルをしたらしいのだが、問題なのはここ。

(以下週刊文春Webより引用)

警視総監から「できる限りのことはやってやれ」と指示を受けていた

(以上引用おわり)

渡辺氏の素行はさておき、警視総監のそれは、明らかに職権乱用ではないか。ちょっとした言葉のあやで大臣なら直ぐクビになるのだから、警視総監も即刻退任してもらいたいし、そもそも検察が然るべき訴えを起こすべきではないのか。

これに対し、J-CASTニュースによると、

(以下J-CASTニュースより引用)
読売新聞東京本社は、週刊文春側及び記録の盗み出し・捏造等にかかわった人物に対し、刑事、民事両面から法的措置を適宜、講じていく所存です

(以上引用おわり)


だそうだ。

ところがこのJ-CASTニュースには文春への回答と矛盾する記述がある。

(以下J-CASTニュースより引用)

2004年も01年も所定通りに教習所に出向いて高齢者講習を受けており、「警視庁に不正な依頼をしたことも一切ない」「不正行為の事実はまったくない」と完全否定した。

(以上引用おわり)


これに対して文春には、

(以下週刊文春Webより引用)

当時の警視総監、交通総務課長は日記の記述を否定。渡辺氏、読売新聞は次のように回答した。

「なんか、おじさんの話を1時間くらいだったかな。あれこれ話を聞いて。そんな目くそ鼻くそのこと、何を言っているのかね」(渡辺氏)

 「(2004年の免許更新の際は)待ち時間等の都合をつけてもらったので、比較的短時間で終わったが、一般的にも待ち時間等がなければ短時間で済むと聞いており、質問に『3時間以上が必要』とあるのは実態と食い違っている。警視庁幹部ら警察関係者に何かを依頼した事実は一切ない」(読売新聞グループ本社広報部)

  道路交通法施行規則には、〈高齢者講習の講習時間は、三時間とすること〉と明記されており、今回改めて警察庁広報室に確認したところ、「高齢者講習は、3時間というのが決まりです。これは2004年当時であっても変わりありませんし、これに例外を認めるような規定もありません」と回答している。

 (以上引用おわり)

と答えている。

いずれも読売自身が3時間の講習を受けていないことを自ら認めているではないか。そしてそれは違法であり、例外を認める規定はない、と警察広報が回答しているのだ。

読売のいう怪文書の真贋はさておき、自らが認める内容において、違法行為があったのは事実なのであり、それを違法でないとしている時点で、新聞社としての資格が無いと思って何か問題があるだろうか。


また、この事件の中で、事実だとすれば、最も罪が重いのは、

「警視総監が便宜を図るよう指示した」

ことだろう。であれば、新聞社たるもの、

「百歩譲って一民間企業のトップである渡辺ごときがあらぬ風評を受けるのはまだしも、こともあろうに世界に冠たる法治国家である日本警察のトップである警視総監が罪を犯したかのような事実のねつ造は断じて許せない」

などといった、最も重要な問題に焦点を当てるべきだろう。そうすれば他のことなど、撮るに足らない、それこそ渡辺氏が言ったとされる、目くそ鼻くそレベルで済ましたくなる印象を与えることが出来ただろう。

とは言え、高齢者教習は、悲惨な事故の教訓から生まれた法規制であって、目くそ鼻くそなどではない。文春側は、この一見軽微な狡と思われがちな高齢者運転に対する規制が、どのような悲惨な社会問題をはらんでいるのか、触れた上で、渡辺氏の言動が如何に新聞社のトップとして相応しくないものであるか、糾弾すべきだった。

ただしWeb版を見ただけなので、雑誌版にはそこまで追求があったのかもしれないが、もしそうだとしたら今のご時世、ちょっと、それはそれでおかしいと思う。


この記事はもう半年前(2012年11月)なので、本当に刑事告発されているのかどうか、白黒ついていてもよさそうなものだが、検索してもそうした事実は浮かび上がってこない。

(2013/5/23追記)
警察への見返りだろうか。

武井壮さんが車で信号待ち中、バックしてきた警察車両に車の横に追突されるという事故があった。この事故で武井壮さんの車、ポルシェはドアだか車の横だかが凹んだとのこと。武井壮さんは気丈に「自分の身体は超頑丈なのでまったく怪我はありません。当たったのが車で良かった。生身の僕に当たっていたら、警察車両が大破していたでしょう」というようなこと(この通りの文言ではない)を冗談混じりに語っていたらしいが、これを夕方の報道番組「news every」内で18:30とか18:40とかぐらいの時間から、10個ぐらいのニュースをその一覧をバックに出しつつ、1つづつ紹介して行くコーナーの中で報道したのだが、そのタイトルがなんと、

「武井壮さんポルシェで事故」

である。

これではまるで武井さんが事故を起こした責任者と言わんがばかりだ。その上、肝心な「警察」の文字は何処にも入っていない。

無論、ニュース本文では先に述べた冗談混じりのコメントも含め、それなりの確度で報道はした。しかしこのニュースタイトルは、このコーナーを通してバックに一覧として表示され続けるわけで、例えば晩飯を食いにラーメン屋さんに入り、このタイトルだけを観た人も恐らくいるだろう。そういう人たちには、まるで正反対の誤報である。

そもそも読売新聞のTV局なのであるから、娯楽番組はいざ知らず、ニュース報道でこうした誤報まがいのタイトルを掲げるなど、あり得るだろうか。

それどころか、渡辺氏の不正問題のタイトルに関しては、読売新聞側が、タイトルが誤解を有むとして講義し、文春側が黒塗りで訂正した、と自慢げに話しているではないか。

つまり、見出しの重要性を十分認識し、自らが被告発者の場合は猛然と抗議しているのだ。これを自分本位と言わずして、何と言おう。報道の客観性などみじんも無いと言わざるを得ないではないか。

もっとも渡辺会長にかかれば、こうした些細な操作など、目くそ鼻くそなのかもしれないが。であれば、きちんと報道したまえ。もっと、鏡のように、美しく、一点の曇りも無く。





2013年5月16日木曜日

関数の構文が分け分かんない件

例えば、MidiSend関数は次のように宣言されているのだが、


extern OSStatus
MIDISend( MIDIPortRef port, 
MIDIEndpointRef dest, 
const MIDIPacketList * pktlist ) __OSX_AVAILABLE_STARTING(__MAC_10_0, __IPHONE_4_2);


え?この構文(関数パラメータの括弧とじと文末のセミコロンの間)って何?ということで探しまわること数時間。その言わんとしている意味は何となく分かるのだが、書き方が許せないをモチベーションに、重い腰を上げてStackoverflowで検索してみると、


http://stackoverflow.com/questions/4924285/how-to-deprecate-a-method-in-xcode

にその答えが。

そのものズバリの話ではないが、この回答欄にある、deprecated用のgccの構文というところが答え。このケースでは、これを呼ぶんだとき、deprecated条件に一致すると、warningが出力される。

llvmじゃないの?と思ったが、歴史の古さからはgccだろう。

それはいいとして、そもそも例えば、

__AVAILABILITY_INTERNAL__IPHONE_6_1

のような定義がどこに定義されているのか、見つからない。__OSX_AVAILABLE_STARTINGが定義されている、"Availability.h"を見ても特に何も#includeされてないようだし。。と思ったが、よく見ると、先頭ではなく、中途半端なところに、"AvailabilityInternal.h"が#includeされていて、その中に__AVAILABILITY_INTERNAL__IPHONE_6_1などがずらずらと定義されており、

__attribute__((availability(ios,introduced=4.1,deprecated=6.1)))

のように書いてあった。

まあそれにしても、勝手にこういう構文が追加になって人が持ってたK&R読んだことがある自分にメールの1つもよこさないってどういうこと?

無限というパラドックス

パラドックスとゼノン:『アキレスと亀』あるいは『二分法』

で気づいたことがある。

実はこれ、無限というパラドックスに問題自身が嵌っているのではないかと。

なんでもいいが、例えば、0.0000001を無限に足すと、無限大になる。どんなに小さな値であろうと、「同じ」値を無限に足せば、無限大になると言えるだろう。ところがここで最も小さい値を考えてみる、そう、無限小とでも呼びたくなる値だ。小数点以下に無限にゼロがつづいたその次の値が1になるのだ。だが、無限に続いたらその次は無い。つまり、ゼロの次に大きな数というのを、無限は示せないのだ。

言われてみれば分かり切ったことだが、無限というのは動的であり、静的でない(同じことを繰り返して行っている。。)。つまり、無限にゼロを並べようとすると、永遠に並べ終えることが出来ないのだ。しかしこれを「無限」という関数で表現すると、あたかも静的であるように示すことが出来てしまう。

ゼノンの『二分法』で、2点間の距離が縮まって行くことをイメージしながら、それが無限に小さい値をとると、心理的には不思議なことが起こる。先に挙げたように、どれほど無限に小さい値であろうと、その値を無限に足せば無限大になるはずなのに、積算といおうか、『二分法』のように積み上げて行く足し算を行おうとするとき、次に足す値が前の値より小さくなる場合は、いつまで経っても無限大にならないのだ。

それはおかしい。

だって、無限に小さい値であろうと、無限に足せば無限大になるはずではないか?
そして次に足すべき値は、常に無限に小さい値よりいくらか大きいはずではないか?

ところが、次に足す値が、前の値より小さいため、無限に足しても、決して無限大にはならないのだ。

もっとも小さい値が存在するとして、それを無限個足し算すれば無限大になるのに、その最も小さな値が(無限が動的であるために)いつまで経っても決められない。

そこが一見パラドックスに見える所以ではないだろうか。

このことは、実は物理的な世界が、否が応でも無限小ではない最小値を持っていなければならないという、非常に重要なことを示唆している。つまり、プランク定数が正しいか否かに関わらず、最小値は存在する。この世はデジタルで無ければ存在し得ないのだ。





2013年5月13日月曜日

渡辺香津美トリオDX

見逃したスパイスオブライフの敵討ちとばかりに、1st/2nd両ステージを観ることが出来た。行く前から「観戦」だと思っていたが、確かにそういう面も多かったと思う。これだけ世界屈指のテクニシャンが3人揃えば、火花が散らないほうがおかしい。

2ndのほうが場所的な問題かもしれないが、良かった。

それにしてもバージルは表情もそうだが、昆虫のような素早い動きと、花火のような爆音で、メカニカルというかSF的というか宇宙人的というか、思わず「てめえうるせえぞ!(笑)」と心の中で笑ってしまった。

情緒とは真反対だが、ここまで堂に入っていると、これはこれで不思議と素晴らしさを感じるから不思議だ。

スパイスオブライフからは、『Period』に始まり、自分が必死に練習しても弾けなかった『City』や大好きな『JFK』を演奏してもらえて「やったね!」という最高の気分だったが、残念ながらジェフがその『City』でソロを取ってくれなかった。もちろん弾いたとしてもレコード通りに弾くはずは無いが。


その僻み根性からか、音程が聞き取り辛かったせいか、昔よりビジネスライクにちょっと感じてしまった。ぜひともライブ盤を出してもらって、このつまらない思い過ごしを払拭して欲しい。

それか、きっとBlueNote東京さんが音や映像を撮っていると思うので、もしそうだとしたら、BlueNote東京を買う、という手もある。自分の手の内に「今」あるわけではないが。


気づいたことだが、先月のサテンドールのJAZZ回帰トリオと同じような曲で、それを考えるとJAZZ回帰トリオの凄さを改めて痛感した。あれもライブ盤を出して欲しい。特にあれを弦バスで弾いていた井上さんの凄さ、あれを後世に音と映像で残さないのは、ある意味罪ではないだろうか。






2013年5月7日火曜日

グッドテイスト メモ

駅前の茶月、生臭すぎ。
鮮度管理、一体どうなってるのか。

これじゃあ食べ物を商売にしている気概がゼロだと思もわれても仕方ないだろう?
全く、お腹の具合が悪くなってきたし、
空腹に任せて無理して食べるんじゃなかった。


Webサイトを見ると、「茶月の安全宣言」のページが、

「現在作成中です。」

に。

笑わせてくれる。。。

じゃあ一言言ってやろうと、「お問い合わせ」のページを見るもまたまた、

「現在作成中です。」

よし分かった。
明日お客様フリーダイアルに連絡してみるよ。

2度目が絶対無いためのメモ。


2013年5月3日金曜日

パラドックスとゼノン:『アキレスと亀』あるいは『二分法』

続きは、"無限というパラドックス"にて。


パラドックスとは1つの事象に対する2つの相反する見方があるものを言うと思っていたら、日本語では「逆説」と訳されるという疑問にぶつかる今日。

そんな中、Wikipediaで奇妙な解説に出会う。奇妙とは自分から見てという意味であって、客観的な意味ではない。

以前から、アキレスとカメについて、何もパラドックスは無い、というのが自分の持論だったが、どうも内容を間違えて吹聴していたものを読んで覚えてしまっていたのか、Wikipediaに書かれた内容が信頼の置けないものなのか、とにかくWikipediaに書かれた内容と違って覚えている。

しかもその自分の記憶というのが、Wikipediaに書かれた、『二分法』と『アキレスと亀』を足したような内容だからなおさらハテナである。

つまりもし、Wikipediaの内容が正しいのであれば、『二分法』も『アキレスと亀』も同じようなパラドックスであり、わざわざ2つに分ける必要があるのか、と思えて仕方が無いからだ。

とにかく、どちらもパラドックスなど無いのは一緒なので、それぞれ何故パラドックスではないのか、パラドックスとは言えないのか、メモしておく。

『二分法』(以下Wikipediaのゼノンのパラドックスより引用)
地点Aから地点B0へ移動するためには、まずAからの距離がAB0間の距離の半分の地点B1に到達しなければならない。さらにAからB1へ移動するためには、Aからの距離がAB1間の距離の半分の地点B2に到達しなければならない。以下、同様に考えると、地点Aから地点B0へ移動するには無限の点を通過しなければならず、そのためには無限の時間が必要である。よって、有限の時間で地点Aから地点B0へ移動することは不可能である。
(以上Wikipediaのゼノンのパラドックスより引用)
まず、ここで言っている「無限の時間」。これが一体何年なのか。実はその殆ど全てが限りなくゼロに近い時間なのである。物理的にも数学的にも全くといっていいほど「経過していない」のである。

普通、ただ単に「無限の時間」と言われれば、100万年は有に超える永遠に長い、悠久の時間であると同時に、「有限の時間」より遥かに長い時間であることを想像させるし、実際、「無限の時間」は「有限の時間」より長ければこそのパラドックスだ。

では「有限の時間」とは何だろう。これは当然有限なのだから、どんなに短くてももちろん構わない。先に示したように、「無限の時間」の殆ど全てを構成する限りなくゼロに近い時間より更に短い時間だと言っても確かに構わない。構わないが、逆にどんなに長くても構わないわけだ。つまり、単に「有限の時間」と言えば、100年はおろか、0.1秒でさえ極めて妥当な「有限の時間」の一つであり、この問題の「地点Aから地点B0へ移動する」ためのものとして、十分代入可能な時間であるはずで、それがその物理的な距離との関係によって、「地点Aから地点B0へ移動する」ことが可能な有限の時間を代入することに何ら問題はないはずだ。

さもなくば、問題を、

「『無限の時間』として登場する時間よりも短い『有限の時間』で地点Aから地点B0へ移動することは不可能である」

のように変えなければならないが、これでは何らパラドックスではない。

問題は言葉によって説明されており、いい加減な意味で「パラドックス」といったところで、「EPRパラドックス」とは訳が違う。

『アキレスと亀』(以下Wikipediaのゼノンのパラドックスより引用)
「走ることの最も遅いものですら最も速いものによって決して追い着かれないであろう。なぜなら、追うものは、追い着く以前に、逃げるものが走りはじめた点に着かなければならず、したがって、より遅いものは常にいくらかずつ先んじていなければならないからである、という議論である。」アリストテレス『自然学』 あるところにアキレスと亀がいて、2人は徒競走をすることとなった。しかしアキレスの方が足が速いのは明らか[2]なので亀がハンディキャップをもらって、いくらか進んだ地点(地点Aとする)からスタートすることとなった。 スタート後、アキレスが地点Aに達した時には、亀はアキレスがそこに達するまでの時間分だけ先に進んでいる(地点B)。アキレスが今度は地点Bに達したときには、亀はまたその時間分だけ先へ進む(地点C)。同様にアキレスが地点Cの時には、亀はさらにその先にいることになる。この考えはいくらでも続けることができ、結果、いつまでたってもアキレスは亀に追いつけない。
(以下Wikipediaのゼノンのパラドックスより引用)

これは全く『二分法』と同じである。アキレスと亀の距離が、ある時点の半分づつに縮まっていく場合について考えればいい。アキレスと亀の各自の速度はアキレスのほうが速いとしか前提されていないので、どんな速度差でやっても同じことだ。

この二分法的に見た『アキレスと亀』が自分が覚えていたものである。

従って説明は全く同じになるのだが、強いて言えば、「いつまでたってもアキレスは亀に追いつけない」の「いつまでたっても」は100億年よりさらに長い時間を指している言葉だが、だとしたら間違いである。この「いつまでたっても」は0.1秒にすら遥かに及ばない、短い時間なのだから。

アキレスが亀を追い抜く直前を永遠に限りなくゼロに近い時間に閉じこもって観察した観察者の脳内でしかあり得ないことであり、それは物理的には不可能だし、数学的にも言葉として問題がある。

要するに、パラドックスでも何でも無いのだ。

思いついたので、ちょっと算数的な補足をしておこう。
二分法で差が1/2になる根拠は何も示されていない。
つまり、前の距離とその次に観測する距離との相関関係を勝手に決めているだけだ。
であれば、その差は1/4でもいいし、8/11でもいいはずだ。

実際、二分法を4/5で言い換えれば、問題の冒頭は、

「地点Aから地点B0へ移動するためには、まずAからの距離がAB0間の距離の4/5の地点B1に到達しなければならない。」

となる。ほら、すでに問題の冒頭で半分を超えている。

どのような値を取ろうと、その差が「1より小さい」場合、
永遠にその中間地点を観測することを想像することはできる。
だがその差の設定に何ら根拠が無いのだから、
どんな距離差でも取る事ができる。

そう、「1」でもいいのだ。

さらにこれが『アキレスと亀』の件であれば、
最初のアキレスの位置をA地点、
亀の位置の遥か先をB0地点とするなら、
その差は1はおろか、2倍でも10倍でもいいのだ。

然るべき物理条件が提示されれば、
どんな場合でも結果として得られる。

ただし1未満の値の場合は、
プランク定数以下の距離に達した時点で、
敢えなく破綻してしまうだろうが、
ここではそんなことを持ち出すまでもない。
時間が止まるとでも思えばいいし、
発見されていない素粒子未満の世界があると思ってもいい。

しかしだ。

この問題で大事なのは、それらがどれも、まったく、

「パラドックスではない」

ということだ。


(2013/5/19追記)
もっと簡単なことを思いついたのでメモしておく。
二分法における差が無限的に小さい、例えば1/(百億の百億乗の..を気が済むまで繰り返す)とかいう値の場合、アキレスと亀の間は、相当しばらく微動だにしないだろうし、その差は永久に変わらないと言えるだろう。そしてそれは、いわゆる非ユークリッドな世界と中学の数学で教わった(しかし実際ユークリッドも非ユークリッドも自分はよく知らない)、例えば10cmの直線と2cmの直線があるとして、どちらもその中に点は無限に存在するのだから、どちらも同じ長さであるとか、無限 X 無限 = 無限 というおかしな等式になるとか、そうしたことの類いと基本的に同じ世界だと思う。




2013年4月29日月曜日

とことんアホなiPhoneの電話帳

タイマーがヘッドホンをしていてもスピーカーから鳴るアホ仕様に続いて、さらに上を行くおバカ仕様が明らかになった。

電話帳に登録する際に、着信音を設定するとき。これもデカデカとスピーカーから奏でられる。もちろんヘッドホンジャックをずっぽり隙間無く差しているというのにだ。

いいかげんにしろ!!!!

と虚空に叫んでみたところで何も解決しないのは分かっている。どんなに素晴らしい会社にも、とてつもないアホはいて、誰にも止められないのだ。さながら量子間のトンネル効果だ。

2013年4月19日金曜日

プリンス PRINCE tHE aRTiSt is BaCK!!!!


LETSGOCRAZY from Madison Dubé on Vimeo.



Plectrum Electrum - 3rd Eye Girl from Madison Dubé on Vimeo.

そしてバンクーバーからライブの模様が。

http://www.drfunkenberry.com/2013/04/16/exclusive-prince-3rd-eye-girl-shes-always-in-my-hair-live-from-vancouver-listen-now/





この得体の知れない重量感、重いんじゃないんだけど重たい。すっしり感。空間に音が風船を逆さにしたような大きな雫のように沈み込んでくる感じ。わっかるかなあ。

すごい。すごすぎる。

それに野暮なことを敢えて言うならば、やはり音が突き抜けて凄い。なんだこのテレキャスは! 3rdeyegirlのギターの子が可哀想になってしまう。。。 

どこかで評価されなさすぎなギタリスト20人だかにプリンスがランクインしていたけど、まあ、裏を返せば、その凄いギターが霞むほど曲というかパフォーマンスというか、その全体が凄いんだよね。

いやもう俺人生の目標をプリンスに定めた。

2013年4月18日木曜日

『最強のふたり』

う〜ん。 予想通り外れだった。

この映画が劇場公開されたときは、一瞬、観に行こうかと思ったのだが、ちょっと外れそうな予感もあり、結局レンタルを待つことにしたのだった。

それもあってか、DVDが出ても新作で借りるにはやはりちょっと、な予感があったのだが、『リンカーン弁護士』を観たいがために5枚レンタルした際、どうしても1枚足りなくて、これでいっかと急遽借りてみたもの。

まず主役(介護する方)のキャラがちょっと子供っぽすぎる。役者は狙い通り演じているのかもしれないが、障害を持っている方の主役がへこへこ笑っているだけの絵が多すぎて、まとまりがないし、訴えたるものがない。

はっきり言って、この手の映画は泣ける場面が多そうだけど、ぜんぜん泣けないし、

え? は? う〜ん。

みたいな感じ。

かといってコメディでもなく、全体を通して中途半端。映画として主題が感じられない。 だからどこが最強なのかも分からなければ、「ふたり」というほどの絆も描き切れていない。構成もオチもいけてない。

 DVDレンタル:¥200+¥250(延滞料)
 評価:-¥450

『リンカーン弁護士』

やったね! マコノヒー。

 大した映画じゃないけど(ましてや『評決のとき』と比べては可愛そう)、次作、力作を作れる監督がやれば、結構期待出来る映画になる可能性を十分感じさせる映画。 

以外と良かったのが、ライアン・フィリップのイカレぶり。彼はいい役者になっていくのではないか。 

一方、以外と残念だったのが、タイトルと登場するリンカーン(車)。まま、これは原作の限界もあるだろうし、映画でどこまで変えられるかは制作側の問題。間違って『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』みたいに開き直れれば、快作になる可能性は十分だが、今回は無難に収めてしまっている。

DVDレンタル:¥200
評価:¥400


『セットアップ』

今回の5本1000円は外れまくっているけど、今までのワースト記録を塗り替える映画ですな。

まあ、といっても、下の方はどれもどっこいどっこい、新しいものが常に最下位になるわけだが、『リンカーン弁護士』でかなりいい悪役ぶりを演じたライアン・フィリップが準主役、ブルースウィリスが脇役を固めているというのに、この主役のはんぱない鈍臭さは本当に記録もの。

よくもまあ、なんなんだろう。彼、もしかしてお金持ちで、この映画のプロデューサーでもやってるのだろうか。調べてないので分からないが。

これはもう、なんだろう、映画を冒涜していると言っても過言ではないのではないだろうか。

 DVDレンタル:¥200
評価:-¥100,000


『アメイジング・スパイダーマン』

なんか、秘話かなんかかと思っていたら、ハリウッド版のハリウッドによるリメイクだったのね。また随分無駄なことを。

 DVDレンタル:¥200
評価:-¥200


『ロック・オブ・エイジズ』

パッケージにトムクルーズが出ていたので、借りてみたが、(意に反して)ミュージカルだった上に、もう出だしから早送り炸裂。売れないミュージシャンが出てくるのだが、そのまんま魅力がない。これは演技、演出なのか。だが、だとしても、魅力がないので見れないというジレンマ。

アレックボールドウィンも出ている上に、ジャーニーの曲をフィーチャーし(早送りしたので分からないが、もしかしてこの売れないミュージシャンが『Don't stop beliven』を作ったことになっているのだろうか)、それをトムクルーズ演じるやや売れてるのか?っぽいスター崩れが歌うという、一見、非常に贅沢というか、制作費がかかっていそうなんだけど、無駄すぎる映画。そんなどぶに捨てるかねがあるなら俺にくれ。

DVDレンタル:¥200
評価:-¥200円


心と理屈

横尾忠則さんのブログに、
『人は心から離れれば離れるほど理屈っぽくなる。心はもっとナチュラルだ。』
横尾さんの2013/4/8のブログより)

とあった。

確かにそうかもしれない。でもその代わり、心はもっと複雑だと思う。だから、へたに言葉で説明しようとすればするほど、間違った説明をしがちだ。それが理屈っぽいとは違うかもしれないが、見分けるのは難しい。

あるイベントで、ブルーススプリングスティーンが大バカ者と最高にかっこいい奴みたいな、正反対の自分が同居しているけど、それをコントロールできればうまくやっていけるみたいな事を言っていた。

人が矛盾を抱えているのは自明だと思う。だがうまく説明できない。よく「自分の事は棚に上げて」というが、それが例として分かりやすいだろうか。

心がナチュラルなまま相手に伝わるとしたら、それは言葉ではないと思う。だから理屈抜きなのだ。

音楽の模写


横尾忠則さんのブログに、
『絵画には模写があるが、音楽には模写という言葉がない。全部が模写だから。』

横尾さんの2013/4/8のブログより)


とあったが、即興は模写じゃないと思う。

すでに出来上がった楽曲の譜面を演奏するのも模写ではない場合があると思う。異なる演奏家による演奏は、芸術的に全く別物と言って良い場合があると思うからだ。

横尾さんの言われた模写とは、なんだろう。

2013年4月12日金曜日

Macのメールで青色で強調されるメールがあるのはなぜか?

http://support.apple.com/kb/HT2070?viewlocale=ja_JP

ということで、勝手にAppleニュースとかいう(もう消しちゃったので不正確だが)ルールがデフォルトで適用されていたという、浅ましい感。まあ、どこもやってるかもしれないけどね。せめてサジェストしてやればいいのにさ。下品。例えば、


お勧めのルールがあります。
  Appleニュース
    Appleからのお知らせを[青色]で強調表示します。

ルールを設定しますか?
  このルールは環境設定-ルールでいつでも変更できます。
  ただし解除用のルールをオンにしてルールを適用する必要があります。


とかってね。

自分はうっかりルールを削除してしまって、既に適用されたメールの強調された青が消えなくてあせった。

青色を消したい場合は、一旦背景色を白にして、青になってるメールに適用しないといけない。消してしまった自分は、すべてのメールを対象にして、背景を白にするルールを作り、(全メールに)適用した後、そのルールを削除した。

あー面倒くさい。こういうのがTPPに乗ってやってくると思うと、ますます牛耳られている感が募ってしまう。何とか脱却せねば。


2013年4月6日土曜日

渡辺香津美 JAZZ回帰トリオ Special Live が凄すぎて頭が真っ白になった件

結局、渡辺香津美はどこまで行っても渡辺香津美だった!


これがJAZZ回帰なら、本当にJAZZって凄い。凄すぎる。
いかに自分がJAZZ音痴であるか。

そんな中で唯一素晴らしいソロ回しだけが、ちょうど昨日のペン大で話題に上がっていた隔世遺伝の話のお陰で、これがJAZZか!? と思わせてくれた。


とは聞いていたが、『Havana』で滅多切りにされると、後はただただ半狂乱になって踊り出すのを辛うじて堪えるのが精一杯、2部フィナーレの『Manhattan Flu Dance』は感涙が止まらなかった。

そしてアンコールではなんと客席を一周、しかもなんとなんと、自分の前でせっかく差し出して頂いた指板を、ただミュートしてしまう大失態だったが、ラリーグラハム氏に続いて、大スターの生演奏に超接近遭遇できる日が来るとは、夢にも思わなかった。

人間の無限の可能性が、自分にもあり得るのだ。

そして、香津美さんの、昔とは打って変わって、さすがに還暦を控えてか、その風貌は、はじめ、ちょっと強面に見えたのだが、ドラムの則武さんにお子さんが授かったお祝いの曲を演奏したり、写真をおねだりする人たちに、自ら照明を気遣って場所を移動してくれたり、昔と変わらないお人柄が見え隠れすると、やはり渡辺香津美は渡辺香津美だと、その素晴らしさを間近に感じることができた、本当にスペシャルこの上ないライブだった。

ところで、実はベースの井上さんとドラムの則武さんが、高校時代バンド仲間だったのが、二十数年を経て、お二人ともこのトリオのために香津美さんに直接呼ばれて、二十数年来の再会を果たしたそうだ。

その井上さん。今年還暦を迎える香津美さんの記念イベントで、香津美さんが昔からお持ちのアレンビックに合わせて、井上さんも弦バスからアレンビックのショートスケールに持ち替えて演奏する計画があるそうで、昔スタンリークラークが使っていたアレンビックのショートスケールをお探し中とのこと。

耳寄りな情報(中古お買い得品、直輸入サポートなど)をお持ちの方は、ぜひ井上さんへご一報を。井上さんのホームページはこちら

今日は迷った末に行くことを決めたわけだったが、自分のアホさ加減を痛感しただけだった。と同時に、自分のいけてない現実を突きつけられた。

ただその原因の99%はそうしていつの時点でも直前までの自分の体たらくさを後悔して自分をdisってばかりいるからだ。もっと前にこう出来たはずだ、と。

それを乗り越えようとしているからこそ、今日、最終的にはこの超絶ライブに行くという正しい決断が出来たわけで、これからもこの古くてどす黒い皮を脱ぎ去りながら、1mmでも前に進んで行こうと思う。


2013年4月5日金曜日

渡辺香津美 JAZZ回帰トリオ Special Live

今日初めてサテンドールに行く。

http://www.kazumiwatanabe.net/infomation/201304.html

渡辺香津美さんと言えば、ファンのわがままとしてやはり、KAZUMI BANDの2枚のアルバム(頭狂奸児唐眼、ガネシア)が頂点であり、特にアコースティックに近づく程あまり聴かなくなるのだが、今日観に行けそうなので、(思い切るほどのことではないのに)思い切って行くことにした。

あまりにもそれはえり好み過ぎるということに気づいたのかどうかは知らないが、というよりたぶんペン大効果でもっと素直に良い音楽を味わおう、ということのような気がする。

例えば自分が18、9才の頃といえば、コンサートチケットを取るのは至難の技で、まず「ぴあ」なる雑誌を毎回購入(または立ち読み)し、お気に入りのアーティストのライブスケジュールをチェック。そこで観に行きたいライブが見つかると、まだ固定電話を持ってなったころは、10円玉を鬼のように持って公衆電話に行き、リダイアルボタンも無い中、すべて1から掛け直す式のリダイアル。それでようやくチケットが取れたと思いきや、2階席とか、東京ドームのすごい後ろとか、アーティストが見えないほどでしかないことが99%。

ところがライブハウスとなると、そもそも箱が狭いので、取れさえすれば間近で観れること間違いなし。だからよく六本木ピットインや昔のテレ朝近くの(今はもう名前が出てこない)ライブハウスとかが取れると、それはもう大興奮で観に行ったもの。

旧テレ朝近くのライブハウスに行ったときは、井野信義さんとのduoで、香津美さんは当時よくお使いだったオベーションがメインだったと思うが、もうバリバリ分からないきっとJAZZインプロでしょ?という感じで、分からないながらも只只テクに見とれるがごとく、最前列で食い入るように観ていた覚えがある。

ということで、せっかく生で香津美さんの演奏が(サテンドールという、コンサートホールや野球場に比べれば遥かに狭い箱で)観れるのだから、四の五の言ってないで観に行くでしょう普通。

脳内BGMは何故か名盤『TO CHI KA』よりタイトル曲である『TO CHI KA』。



2013年3月25日月曜日

山木さんの完成度の高さ


今堀恒雄 × 山木秀夫 Duo Improvisation
2013/6/6(木)渋谷Last Waltz決定という知らせを聞き、今堀恒雄+山木秀夫の音源を探していたら、こんなVが見つかった。



井上さんは好みではないのだけれども、ライブ自体は素晴らしいエナジー。
山木秀夫さんのサポートドラマーとしての音の密度の高さをメモ。

2013年3月22日金曜日

one for all

メデューサよ、私を石にしておくれ。
なぜなら石の気持ちが知りたいから。

2013年3月21日木曜日

ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド

自分は何もかもが間違っていたのだ。

TVで(まさか面白いとは思わなかったので)途中から録画したのだが、TVでは繰り返してみたり、加工したり出来ないので、DVDを買った。BDにすれば良かったか!と思ったが、BDプレイヤーを持っていなかった。

それで、4年ぶりに新曲を書き始めようとしている。思いついたテーマがとても面白いと思ったので。


2、3日前からWOWOWで録画した『ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』をちょっとずつ観ている(まだ途中までしか観ていない)のだが、全体的な空気がTV越しに部屋の中に漂ってきて、すっかりその空気が気に入っているのと、その中の一場面での4、5人のミュージシャンとスタジオで唱う場面がまた面白くて、その情景と、火曜日にうちの会社の奴とお茶しながら「昼飯食ってる間にガイジンと話するのが一番きついね。仕事と関係ない話になるから。だから今、香川が結構使えるんだよね。」というので、「じゃあDo you know 〜?」シリーズとかどう?」と返した記憶がくっついたらしく、

『Did you know 〜 タリララララ〜 ?』

という曲を思いついたのだ。例によって風呂に入っている時。タリララララ〜には色んなQが入る。

もちろん、3rdeyegirlから手に入れた曲もかなり影響していると思う。

いつもはこういう曲の断片はすぐ忘れてしまうので、放っておくのだが、今日はこの出だしだけ忘れないように、その先一切展開させずに風呂から上がってすぐ録音した。

やはり自分で曲を書くためのアプリも作ろうと思っているが、早く完成させなければと思う。

コールドケース

怒りを感じることは必要だという。
怒りを脱ぎ捨てろと君は言うけど、
もし怒りのジャケットを着ていなければ、
まるで真冬のエベレストに、
裸で登るようなものだと。
だったら他に何か、
代わりのジャケットを着ればいい。
ノースフェイスのダウンジャケットみたいな、
機能的であったかいものを。
愛とかはどう?
でもこれは確かに難事件。
コールドケースみたいだ。
だからもしかしたら、
迷宮入りのままかもしれない。
でももしかしたら、
リリーとその仲間たちのように、
君とその仲間たちが解決してくれるかも。



2013年3月20日水曜日

今日の同義語

「何様光線」と「上からビーム」



be continued

Take off your anger.
Rub gently the throat of your sadness.
Display your hates to the toilet's wall with gorgeous frame for a Gogh painting.
Get shower of joy every morning then wake up.
Way comes spread two, take the right anyway always.
Lazy, Lazy,Lazy. good night. I've made your bed in my freezer for both of us.

2013年3月12日火曜日

Prince/Bambi ちゃナリゼ

2013/4/5追記
渡辺香津美さんのジャズギターレッスンというDVDをゲットしたのだが、その中の解説で、「C7のスケールだと」といって弾かれたのがまさにCミクソリディアン。

なので、ブルーノートの件はさておき、ドミナント7thということでのブルースとしてみようとしてみたが、歌メロの出だしがG♭7なのはいいとして、次がどうしても雰囲気的にE7ではなくEにしか聞こえない。

逆に7thを弾いてみると分かるが、E7を弾くと、かなりブルージーに聞こえる。対してBambiはそんな感じではない。

色々テンションを入れてみたりしたが、自分のスキルが追いつかないので、そもそもピンとこないし。

ということで、やはりブルースからは外れるのではないかという結論のまま。


2013/3/23追記(2)

結局のところ、モードだという結論に達した。
間違っててもいい。そういう結論。

で、出だしD♭mに聞こえるところは、ギターがD♭ドリアン。だけどD♭mペンタトニックでもある(共通音のみ使用)。だけどベースはEリディアン。というよりEイオニアン(ナチュラルメジャー)に聞こえるが、とにかく明るい音になっていてマイナー感が消えているので、D♭mっていう感じがしない。それをいったらドリアンでもないという矛盾。

そういう矛盾は無視する。

で、歌がG♭ミクソリディアン。途中の切り返し(B♭/B/D♭の繰り返しで始まるところ)は何だろう? ベースは変わらずG♭/Eなので、こういう時は素直にG♭ミクソリディアンとEリディアンでいいのだろうか。何か違う感じがするけど分からない。

ということで、Bメジャースケールのモードで、

D♭ドリアン
Eリディアン
G♭ミクソリディアン
D♭mペンタトニック

モードとコード進行の関係は分からないので今日はここまで。



2013/3/23追記(1)


またBloggerがやってくれた。今日の追加分がきれいさっぱり捨てられている。

めげるようなあ。。。
早く引っ越そう。脱Goolge!

さて気を取り直して書き直そう。


2013/3/21追記
お、ラ・カンパネラとスケール一緒じゃん!
(ラ・カンパネラは多分A♭mのハーモニックだけど)
※すぐハーモニックをメロディックと言ってしまう。

で、実はBメジャー上のドリアン(D♭ルート)とミクソリディアン(G♭ルート)という可能性もあるのだろうか。まあ、明らかにD♭のマイナーペンタトニックを使っているので、そこが構成音が一緒だからってドリアンにはならないと思うが。
とはいえ、ジャズのモードというわけではなく、単にスケールとして。
あ、だからコード進行が謎なわけだ。
逆にいうとBメジャーのスケール上に音は収まるので、そこからコードを持ってくると、いきなりV→Ⅳの繰り返しになるし、あ、コード本にあったりして。探してみるか。


2013/3/16追記
ベースがD♭/E♭/*1.5/Ex4.5の最後のEは長さとタイミングのせいでEメジャー(Eのトニック)に聞こえる。で、ギターがD♭m。この平行調関係に加え、次ぎにくる歌がG♭メジャーだけどミクソリディアンでⅦが短7度なので、EがG♭に向かう♭シであるという流れ。

それにしてもミクソリディアンの正体が分からないとすっきりしない。スケール自体は良く出てくるけどミクソリディアンは(モード名以外で)聞いた事が無いので、何か違う、違う何か、ではないかという。


2013/3/14追記
あとやはり、ベースがD♭/E♭/*1.5/Ex4.5っていう、このD♭mとして見た場合の♭Ⅲがバーンと来るところ。に、ギターが普通な感じのD♭mで被っているところ(が痛気持ちいいのか?)。

2013/3/13追記
ブルース調だと思ったのだが、♭Ⅴを使ってないっぽいので、D♭mと、歌メロのところはG♭メジャーだけど♭Ⅶ(短7度)を使ったスケール(がきっとあるのではないか?)。だからベースがG♭/Eになる。でこのD♭mとG♭メジャー(短7度/ミクソリディアン)の被りが痛気持ち良さではないか?
(以上、2013/3/13追記)

結論から言うと、ブルース調のD♭だと思う。(*これは間違っていると思う2013/3/13)

以下は分析(耳コピ)しながら思っていたことを時系列にメモっている。


ヤバ過ぎる Prince/Bambiということで、なんちゃってなアナリゼ(略してちゃナリゼ)を展開して恥を上塗りしつつ、ちょっとこの痛気持ちよさがどうなっているのか、見てみたい。

キーは多分Bメジャー(※とこの時点では思っている)。というか、Bメジャーで譜面を書くと、収まると思う。

で、ベースがD♭/E♭/E/Eだから、最初ラジドってD♭マイナーみたいに聞こえるんだけど、Bメジャーで取ると、レミファファなんだよね。でこのファッファーとベースが来るところがおかしい。

で歌メロがB♭/B♭/G♭/B♭/A♭と来るので、BメジャーじゃなくてA♭なのかもしれない。でもベースはG♭x4/Ex4だからなあ。

で、次のギターのリフが、Ex2/E/E♭/0.5(B/D♭/B)/D♭x8だから、ここだけみると、D♭マイナーっぽくもある。D♭マイナーはA♭の4度上(逆に言えばA♭はD♭の5度上)。1音(B♭かAか)しか違わない。でも歌メロでB♭を使っているというか、出だしの音がB♭なわけだし、この辺のズレが普通じゃない感じを生んでいるのか?

あと、3rdeyegirlのBambiではギターのチョーキングがわざと上がりきってないところがあったり(というかそう自分には聞こえる)、最後のほうのギターリフが完全にD♭マイナーのペンタトニックになっているので、やっぱりD♭なのか!?

で最後の音が、なんとCという。D♭の導音、メロディックマイナーってことで、やはりD♭で決まり?

とするとやっぱり歌メロの始まりのB♭がこれA♭マイナーってことでいいのだろうか?
つまり軽く5度上の転調から始まってると。



一方、ちょっと機能的に見ると、これがBメジャーだと歌メロのベースはⅤ7(D)/Ⅳ△7(SD)になってしまう。かといってA♭マイナーの♭Ⅶ7(SDm)/♭Ⅵ△7(SDm)も何だかなあ。

ブルースだとするとどうなんだろうね。さあ。でもきっとブルースなんじゃない? ブルース調はまだ習ってないのでなんだが、基本7thの連打なのだから、きっと7度が短7度になるはずで、そうするとこの歌メロの部分のベースはドx4/♭シx4で、とっても普通な感じがする。

そうすると、D♭/E♭/E/(休)/Ex4と来るのは、ソ/ラ/シ/・/ドー/なのが自然なところ、最後のドをシのままで、ソ/ラ/シ/・/シーとしてしまっているのがツボだと。

ほら、良い感じじゃないか。

ということでブルースのD♭で決まり!

と思ったが、Wikipediaによると、♭Ⅴがブルーノートだそうなので(そういえばそんな話だっけ?)、この曲では使ってないと思う。

とすると、単にD♭mか?


Liferay Portalの曲がったグラフ

Liferay Portalのグラフが面白い。

ちょっとしたことだけど、曲がってるのって初めて見た。

Liferay Portalってよく知らない。
昔、WSDL絡みで、IBMのdepeloperWorksに記事が載っていたと思う。ポートレットという言葉を使っていたし、ここの説明のイラストを見るとよく似ているので、多分同じ系統の技術だと思う。

当時UDDIのようなサービスが今後展開されるの?という感じでWeb2.0を見ていたような気がするが、どうもこのUIまで含めてパーツ化するような感じに取れて(間違ってるかも)、それだと違うよね?という感じで悩んでいたら、端からUDDIのサービスが潰れていってしまって、だよな〜という。

でも盛り返しているってことは、物が違うのか、理解が間違ってるだけなのか、あるいはドメインに閉じているのか。まあ最後のじゃないかと勝手に想像してみているが。

想像というのは、少なくともViewは切り離さないと気持ち悪いから、ドメインに閉じるような無秩序な拡散が無ければ、単にライブラリとして使えるかもねという考え。

自分グリッド(例えば翻訳SNS)はそうではなくて、『合成』という考え方なので、Viewは言って見ればノードでしかなく、ポートレット的な塊感はないので大丈夫ではないかと思っているところ。

でもせっかくだからこれを知ったJJUGナイトセミナーに行ってみるべきか、そんな暇はない、べきか。3/27なのだが、その日は第8回コンテンツ流通促進シンポジウムというのもあって、参加させて頂くとしたら、そこから流れることになるのだが、果たして。


話は変わるが(流れからメモを追加すると)、コンテンツ流通促進シンポジウムというのは、クリエイティブコモンズのツイートで知ったのだが(なんでそのツイートを知ったのかは忘れた)、兼ねてから懸案の、ソフトウェアを含むアプリ全体をCCで配布することの問題点(CC-BY+MITとどう違ってくるのか)も然ることながら、そもそも日本語基準のライセンスがないので、JIS規格化するというのはどうなのか、JISがお門違いなら、行政あるいは任意団体を行政が支援でもいいのかもしれないが、日本人のための日本語、だけに止まらず、日本語を使うユーザがコンテンツを使用する際にライセンスをちゃんと理解できないと困るよね、でも日本語訳に頼っていて、何か問題が起きたら「英語の原文を優先する」ってどういうこと? いいの?それで、というのを聞いてきたいのだ。

まあ行った先で聞ける人がいるかどうかはわからないけど、文化庁のお役人さんでもいれば、少なくとも誰に聞けば良いのか教えてもらえたり、、しないか。行くの止めよっかな。

日本が国を挙げて日本語によるオープンソースの支援とかいうと、何か水と油みたいな(ほら、自由と規制みたいなさ)感じとか、「なにいってんだよ、逆だろう逆、英語で統一するんだよ!」みたいな罵声とかが響く感じもあるが、それは違うと思う。

例えば日本政府が、日本語訳というより日本語化したライセンスとその元になった英語のライセンスを等価であると表明する、ということを想像した場合、コンテンツの提供者も利用者も嬉しいと思うのだが。

どこかに同じような話を書いたを思うが。




ヤバ過ぎる Prince / Bambi

3rd eye girl での購入トラブルが振り出しに戻り、心機一転、慎重に購入できた喜びも束の間(という言い方は逆でおかしいのだが)、ダウンロードした『Banbi』がヤバい。ヤバ過ぎる。いや相当ヤバいよこれは。

これは次の時代に入っちゃったね。

ちゃんと耳コピしてないが、ベースとコードとリードギターとボーカルの音程関係が異常。

 ところが! (ここから2013/3/12追記。)

これが実は、1979年の『愛のペガサス』という、ジャケットだけみたら絶対買わないアルバムに入っているということが判明。





















YouTubeによれば、1990年のTOKYO DOMEでも演奏している。



もちろん『愛のペガサス』のCDは持っているし、だから多分、昔聞いたことがあるはずなのだが、完全に忘れているというか、記憶に無い。

不思議なのが、ちょうど1週間ぐらい前のこと。iTunesにまだ入れてないCDが結構あったので、入れていたのだが、この『愛のペガサス』だけ読めなくて、まいっかと諦めていたのだ。

結果的にそのおかげで、初めて聞くかのようにbambiの新しいバージョンが聞くことが出来た。

しかし100年後の曲だと思った曲が、実は34年前の曲だという、驚愕の事実。

これではリットンと言われても仕方ない不届きもの加減。

(2013/3/12追記ここまで)


P.S. 3rd eye girl で買う時の注意点。

いいですか、ダウンロードリンクは送られてきません。
なので、必ず、Check out(つまり購入画面)で、『Create an acount』にチェックを入れ、パスワードを入力、絶対忘れてはいけません。そして購入後(購入にはPayPalが必要です)、My Accountからログインします。これできちんとログインできれば、きっとそのページからダウンロードできるはずです。

それにしてもこのシステム、おかしいです。

万が一、Create an accountを見逃してしまったあなた!3rd eye girlにメールを送るなら、必ずsubjectを『Download Help』にすることをお忘れなく。そうしないとメール読んでもらえません(恐らく。私の体験では)。

それでも返事が来ない場合は、 PayPalでクレームを立てると、私の場合は返金されました。でもダウンロードリンクは送られてきませんよ。本当はそっちが欲しいわけですけどね。きっと何かトラブルがあったのでしょう。例えば、買ってもいない人がダウンロードできちゃうとか。

だってMyAccountのログインにしたって、パスワード1回間違うと、そのあと何分後じゃないと再度ログインできない仕様になってますから。

その上、パスワード忘れた人用の再発行とかも無いです。いや、あるのかもしれませんが、目につくところにはありません。

私もログイン出来なかった時は、もうどうしようかと思いました。結局パスワードが間違っていた訳ではなく、単なる入力ミスだったようで、事なきを得ましたが、やめて欲しいです。

2013年3月10日日曜日

渡辺香津美 × ジェフ・バーリン × ヴァージル・ドナティ

なんとあの名盤中の名盤、『スパイス・オブ・ライフ』で競演したジェフと、スティーヴ・ヴァイなんかとの共演でも知られるらしいヴァージル・ドナティを引き連れ、ポスト・フュージョンとやらを追求する新プロジェクトを、ブルーノート東京から始動するとのこと!

http://www.bluenote.co.jp/jp/artists/kazumi-watanabe/

これはマスト中のマスト。必須の中の必須。2ステージ連続で観たい!

それはそれとして、なんと、10年前に『Spice of life in concert』という、中野サンプラザでのライブを収録したDVDが出ていたことについさっき気づいて唖然。しかも絶版っぽい。Amazonで中古8000円。

あまりの落ち度にプレミアのついた中古を買う許しが自分から下りず、あちこち探しまわっている。

これを機会に復刻されることを祈る。

2013年3月8日金曜日

ペン大 2013/3 - 1st ハーモニックメジャーとかメロディックメジャー

がこの後出てくるという話で、名前ははっきり言われなかったので自分でググったら、極限られたページに、マイナーと同じ名前が付いたスケールについて書かれていたのをメモっとく。

ハーモニックメジャー:

ラが♭。(2013/4/1修正)

メロディックメジャー:
ラとシが♭。(2013/4/1修正/ハーモニックとメロディックが逆になっていた)

これが載ってるページに何故かミクソリディアンがメジャースケールの1つとして載っていたり、マイナースケールにドリアンが載っていたりするので、ペン大式のスケールと同じなのか違うのかは、次回以降に持ち越し。


さて、このハーモニックメジャーとメロディックメジャー、ドから順に弾くと、ちょっと気持ち悪い。



で、え?ドリアンってメロディックマイナーなの?と勘違いしたところで、Cでドリアンを弾くには?と暫し悩んで、あ、CがレだからB♭のメジャースケールのCからがCドリアンか、と気がつき、弾いてみると、ハーモニックとメロディックの中間というか、ミ(E)とシ(B)が♭(ドリアンもドレミで読んでいいのかは知らない)。

Cで(メジャースケールの)モードを確認するには、それぞれCがレ〜シになるキーを弾けば良いわけで、ついでに確認してみる。

Cがレ:B♭(ミシが♭):ドリアン
Cがミ:A♭(レミラシが♭):フリジアン
Cがファ:G:(ファが♯):リディアン
Cがソ:F:(シが♭):ミクソリディアン
Cがラ:E♭(ミラシが♭):エオリアン(そしてナチュラルマイナー)
Cがシ:D♭(レミソラシが♭):ロクリアン

こうしてみると、やはりナチュラルマイナーがマイナーらしい感じがする。特に「ドシラ」と下がったところ。やはりこの短3度が効いている感。が、ドリアンとナチュラルマイナーを分ける6度、ここを弾く場合は、ドリアンだとファソラシがメジャーのドレミファと同じなので、ヘテロな感じを醸し出すのか。

ロクリアンは♭が5個もある(すなわち全黒鍵だ)が、暗くない。ロクリアンはモードでも使わないと聞こえたような気がする。イオニアンと半音違いなのが近すぎる(くせに同じじゃない)と嫌われるパターンか。そういえばⅦのハーフディミニッシュも、ドミナントに分類されているくせに(ほとんど)使わないらしい(と確か聞いた気がする)ので、今のうちからロクリアン、Ⅶを使っておくと、後生に評価され得るかも。



今日学んだ一番大事なことは、「Any key OK?」と聞かれたら、「non」と答えるということ(2)。

それと、オルタードスケール6種。その中にあるコンディミ(3種)とホールトーン(2種)以外は、ダイアトニックスケール上の何処かのモードなので、結局スケールの種類としてはダイアトニック環境上に6個(内、メジャーの2つはまだ習っていない)、ホールトーン2種、コンディミ3種の計11種、これにキーが12あるので、132。ん?違う違う。

ホールトーンとコンディミはキーに関係なく2種類と3種類(で5種類)。ダイアトニック上の6種が12キーなので、72種類。合計77種類。

組み合わせは以上だが、これにモードがあるので(コンディミとホールトーンにモードがあるのか無いのかは知らない)、Any key OK?と聞かれたら「うぃ〜」と答えておこう。


というか、12音しかない、という原点に立ち戻るべき。

な〜んて思ってみたが、よく考えれば、そこから7音を取る組み合わせだけで12*11*10*9*8*7*6/7*6*5*4*3*2 = 792通りもあるわけで、12音というのはむしろ、実は

「すごい沢山ある」

と認識しなおしたほうがいい。
そう、少ないふりして実は多い、というのが良くない。最初っからすごい一杯あると思えば、まあ、とりえあず5個ぐらいでいっか、となる。

そうそう、そういえばモンクさんはオルタードスケールとしてホールトーンばっかり使うのだが、これキーに関係なく2種類しかないので、こればっかり使っていればオルタードはOKという。あとコンディミも3種類なので、これもAny key OKに近づきやすい。先生も結構コンディミ使うそう。

あと3音クロマティック(半音が3つ連続)はスケールの禁則だという話とか。

12音といえばオクターブは確かに12音だけど、テンション自体、1つ上のオクターブ(つまり2オクターブ)に股がる(からテンションと呼ぶし、9,11,13と数え、コンピングで下に戻ってくる)イメージなので、2オクターブ以上に股がるスケールとかもありそう。実際パードンさんアプリのコンセプト版を作っている中で派生した「カオスティック」には、スケールを登録する機能があるのだが、このときオクターブ制限について悩んで、結局2オクターブ以上に股がっても良い仕様になっている。ただこれはスケールというより、カオスパッド上の有効ノートという観点が軸になっているからなのだが。



2013年3月4日月曜日

007 慰めの報酬



007 スカイフォールのトレイラーを見ていたら、まだ見ていない『007 慰めの報酬』が見たくなってレンタルしてきた。で、いつもはTVで観るのだが、何となくMacBook Proで観てみようという気になり、ヘッドホンをして観ているところなのだが、

音がいい!

普段TVから出る音が如何にTVっぽいかが分かる。最も、ヘッドホンで聴く音というのは、どうしても粒が際立つので、いい音に聞こえるというのもある。

ところでなぜ今までこれを観なかったかと言えば、ピアーズブロスナンのボンドが好きで、今のボンドはちょっと、というのが理由。

さて、どうなることか。


いや〜ハードすぎて007というより、T-7000って感じだけど、これはこれで迫力ある映像で目が回った。MacBookProが17"で絵が視界に収まりすぎるのかもしれない。液晶の遅れも全く気にならず、これからはDVDを観るならMacBookProかも。

これはこれで良い映画だと思った。


評価:レンタルなら500円
(サービス券で無料レンタルしたので+500円)


P.S.
そのうちブログに簡単埋め込める何でも評価サービスも始めたいと思う。

2013年3月3日日曜日

UIApplicationMainのパラメータ

"Empty Application"でプロジェクトを新規作成した場合、main()のUIApplicaitonMainのパラメータでクラス名を渡す際、直接 @"AppDelegate"とせずに、NSStringFromClassを使っている。


UIApplicationMain(argc, argv, nil, NSStringFromClass([AppDelegate class]))

これは、XcodeでRefactor->Renameしたとき、ここもきちんと変わってくれるようにするためではないだろうか。


iPadシミュレータでホームボタンが出ない理由

iPadシミュレータを動かしているMacの解像度のせい。

最初、やれ仕様変更だ、やれバグだ、という情報に振り回され気味だったが、ということが分かった。大変失礼致しました。申し訳ございません。

MacBook Air 11"でやっていて、解像度なら表示サイズで50%にして全体が表示されるようにしても(ホームボタンおよび枠が)出てこないのは変じゃないかと思ったのだが、100%の状態で解像度が満足されていないとダメみたい。

MacBook Pro 17"(1920x1200)でやると、RetinaでないiPadならホームボタンが表示されるが、Retinaにすると始め100%の状態(2048x1536)なので、随分大きい画面が表示される。こうなると上の方しか表示されないが、カーソルを領域外に進めようとするとスクロールして、隠れていたところが出てくる。

2013年2月27日水曜日

@synthesizeを省略する

windowが、というか、xcode(ver 4.5.2)でempty applicationを新規作成すると、作成されるスケルトンの中で、そう例えば application:didFinishLaunchingWithOptions:の中で、


    [self.window makeKeyAndVisible];


みたいにプロパティが使われている。
これを直接インスタンス変数に変えてみようとすると、あれ? _windowがない。というか、windowの@syznthesizeがない。かといって


    [window makeKeyAndVisible];

だとエラーになる。まさか、

    [_window makeKeyAndVisible];

だと通るの?

通るんですよお客さん。

がしかし、全部のプロパティが@synthesizeが無いわけでもない。試しに1個消してみると、undefinedになる。えーまさかのwindowだけ? なわけないよないくらなんでも。論理が通らない。

何だろう?と暫し悩み、ググるも、色よい答えが見つからず、xodeの4.4辺りから@synthesizeが省略できる、という話は見かけるものの、そこまで。
でよーくコードを見ると、window以外のプロパティには readonly が付いている。

「これ?」

はい、それです。readonlyを取ると、他のプロパティも@synthesizeなしでOK。もちろんインスタンス変数名は「_プロパティ名」となる。

readonlyを付けると、自分の見間違えで、設定するところだけエラーになるのかと思ったが、間違いなく参照個所すべてが"undecleared"になる。

変なの。