2013年5月3日金曜日

パラドックスとゼノン:『アキレスと亀』あるいは『二分法』

続きは、"無限というパラドックス"にて。


パラドックスとは1つの事象に対する2つの相反する見方があるものを言うと思っていたら、日本語では「逆説」と訳されるという疑問にぶつかる今日。

そんな中、Wikipediaで奇妙な解説に出会う。奇妙とは自分から見てという意味であって、客観的な意味ではない。

以前から、アキレスとカメについて、何もパラドックスは無い、というのが自分の持論だったが、どうも内容を間違えて吹聴していたものを読んで覚えてしまっていたのか、Wikipediaに書かれた内容が信頼の置けないものなのか、とにかくWikipediaに書かれた内容と違って覚えている。

しかもその自分の記憶というのが、Wikipediaに書かれた、『二分法』と『アキレスと亀』を足したような内容だからなおさらハテナである。

つまりもし、Wikipediaの内容が正しいのであれば、『二分法』も『アキレスと亀』も同じようなパラドックスであり、わざわざ2つに分ける必要があるのか、と思えて仕方が無いからだ。

とにかく、どちらもパラドックスなど無いのは一緒なので、それぞれ何故パラドックスではないのか、パラドックスとは言えないのか、メモしておく。

『二分法』(以下Wikipediaのゼノンのパラドックスより引用)
地点Aから地点B0へ移動するためには、まずAからの距離がAB0間の距離の半分の地点B1に到達しなければならない。さらにAからB1へ移動するためには、Aからの距離がAB1間の距離の半分の地点B2に到達しなければならない。以下、同様に考えると、地点Aから地点B0へ移動するには無限の点を通過しなければならず、そのためには無限の時間が必要である。よって、有限の時間で地点Aから地点B0へ移動することは不可能である。
(以上Wikipediaのゼノンのパラドックスより引用)
まず、ここで言っている「無限の時間」。これが一体何年なのか。実はその殆ど全てが限りなくゼロに近い時間なのである。物理的にも数学的にも全くといっていいほど「経過していない」のである。

普通、ただ単に「無限の時間」と言われれば、100万年は有に超える永遠に長い、悠久の時間であると同時に、「有限の時間」より遥かに長い時間であることを想像させるし、実際、「無限の時間」は「有限の時間」より長ければこそのパラドックスだ。

では「有限の時間」とは何だろう。これは当然有限なのだから、どんなに短くてももちろん構わない。先に示したように、「無限の時間」の殆ど全てを構成する限りなくゼロに近い時間より更に短い時間だと言っても確かに構わない。構わないが、逆にどんなに長くても構わないわけだ。つまり、単に「有限の時間」と言えば、100年はおろか、0.1秒でさえ極めて妥当な「有限の時間」の一つであり、この問題の「地点Aから地点B0へ移動する」ためのものとして、十分代入可能な時間であるはずで、それがその物理的な距離との関係によって、「地点Aから地点B0へ移動する」ことが可能な有限の時間を代入することに何ら問題はないはずだ。

さもなくば、問題を、

「『無限の時間』として登場する時間よりも短い『有限の時間』で地点Aから地点B0へ移動することは不可能である」

のように変えなければならないが、これでは何らパラドックスではない。

問題は言葉によって説明されており、いい加減な意味で「パラドックス」といったところで、「EPRパラドックス」とは訳が違う。

『アキレスと亀』(以下Wikipediaのゼノンのパラドックスより引用)
「走ることの最も遅いものですら最も速いものによって決して追い着かれないであろう。なぜなら、追うものは、追い着く以前に、逃げるものが走りはじめた点に着かなければならず、したがって、より遅いものは常にいくらかずつ先んじていなければならないからである、という議論である。」アリストテレス『自然学』 あるところにアキレスと亀がいて、2人は徒競走をすることとなった。しかしアキレスの方が足が速いのは明らか[2]なので亀がハンディキャップをもらって、いくらか進んだ地点(地点Aとする)からスタートすることとなった。 スタート後、アキレスが地点Aに達した時には、亀はアキレスがそこに達するまでの時間分だけ先に進んでいる(地点B)。アキレスが今度は地点Bに達したときには、亀はまたその時間分だけ先へ進む(地点C)。同様にアキレスが地点Cの時には、亀はさらにその先にいることになる。この考えはいくらでも続けることができ、結果、いつまでたってもアキレスは亀に追いつけない。
(以下Wikipediaのゼノンのパラドックスより引用)

これは全く『二分法』と同じである。アキレスと亀の距離が、ある時点の半分づつに縮まっていく場合について考えればいい。アキレスと亀の各自の速度はアキレスのほうが速いとしか前提されていないので、どんな速度差でやっても同じことだ。

この二分法的に見た『アキレスと亀』が自分が覚えていたものである。

従って説明は全く同じになるのだが、強いて言えば、「いつまでたってもアキレスは亀に追いつけない」の「いつまでたっても」は100億年よりさらに長い時間を指している言葉だが、だとしたら間違いである。この「いつまでたっても」は0.1秒にすら遥かに及ばない、短い時間なのだから。

アキレスが亀を追い抜く直前を永遠に限りなくゼロに近い時間に閉じこもって観察した観察者の脳内でしかあり得ないことであり、それは物理的には不可能だし、数学的にも言葉として問題がある。

要するに、パラドックスでも何でも無いのだ。

思いついたので、ちょっと算数的な補足をしておこう。
二分法で差が1/2になる根拠は何も示されていない。
つまり、前の距離とその次に観測する距離との相関関係を勝手に決めているだけだ。
であれば、その差は1/4でもいいし、8/11でもいいはずだ。

実際、二分法を4/5で言い換えれば、問題の冒頭は、

「地点Aから地点B0へ移動するためには、まずAからの距離がAB0間の距離の4/5の地点B1に到達しなければならない。」

となる。ほら、すでに問題の冒頭で半分を超えている。

どのような値を取ろうと、その差が「1より小さい」場合、
永遠にその中間地点を観測することを想像することはできる。
だがその差の設定に何ら根拠が無いのだから、
どんな距離差でも取る事ができる。

そう、「1」でもいいのだ。

さらにこれが『アキレスと亀』の件であれば、
最初のアキレスの位置をA地点、
亀の位置の遥か先をB0地点とするなら、
その差は1はおろか、2倍でも10倍でもいいのだ。

然るべき物理条件が提示されれば、
どんな場合でも結果として得られる。

ただし1未満の値の場合は、
プランク定数以下の距離に達した時点で、
敢えなく破綻してしまうだろうが、
ここではそんなことを持ち出すまでもない。
時間が止まるとでも思えばいいし、
発見されていない素粒子未満の世界があると思ってもいい。

しかしだ。

この問題で大事なのは、それらがどれも、まったく、

「パラドックスではない」

ということだ。


(2013/5/19追記)
もっと簡単なことを思いついたのでメモしておく。
二分法における差が無限的に小さい、例えば1/(百億の百億乗の..を気が済むまで繰り返す)とかいう値の場合、アキレスと亀の間は、相当しばらく微動だにしないだろうし、その差は永久に変わらないと言えるだろう。そしてそれは、いわゆる非ユークリッドな世界と中学の数学で教わった(しかし実際ユークリッドも非ユークリッドも自分はよく知らない)、例えば10cmの直線と2cmの直線があるとして、どちらもその中に点は無限に存在するのだから、どちらも同じ長さであるとか、無限 X 無限 = 無限 というおかしな等式になるとか、そうしたことの類いと基本的に同じ世界だと思う。




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