さて、例の『〜(地獄へ)〜』の本で知った、『千のナイフ』を借りてきた。
坂本龍一さんのファンが自称坂本教信者というのがうなずける、ちょっとヤバい感じの音楽。
そのヤバさが違和感なのだろう。これは普通の音楽、身を委ねたくなるような、自分に対峙するものではなく、その中にとけ込んでしまいそうな危なさがある。
自分の音楽とは、これを聴いて初めて思ったが、あくまで自分と共鳴するものだ。常にそこに音楽と同時に自己がある。
ところが千のナイフは、何かこう、苫米地教授の作っているような、聴くと女性ホルモンが分泌されるとかいう科学的な仕掛けでもあるのではないかと思いたくなるような、よく考えられた環境のようで、呪文に近い。
共鳴ではなく、一体化。自己を喪失するのだ。
坂本さんの最近の韓国だったか?のUSTを聴いたときは、メルヘンだと思ったが、それはつまり、ある種のトリップを誘発するかのような、魔術的なものに由来していたのかもしれない。
※念のために書いておくが、魔術的と魔術とは異なる。坂本さんがウィザードだというつもりはない。
ちなみにこの曲の中で、渡辺香津美さんのギターが炸裂するのだが、聴いてすぐに分かってしまう、あの個性の強さは並々ならぬものがあり、ギターが入って来ると、そこは一瞬渡辺香津美の音楽に変わってしまう。なのにも関わらず、そのフレーズは、どうも坂本教信者と言わんがばかり。トリップしているのだ。もしかすると香津美さんも信者なのかもしれない。だから数少ないフォローに坂本さんが入っているのかも。
と穿った見方をしてしまうが、それとも香津美さんのギターにつられてトリップしたのは自分のほうなのか。
やばいやばい。
きっと風邪をひいているせいだろう。
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