2013年7月11日木曜日

Brazil

 

『未来世紀ブラジル(原題:Brazil)』を観直した。

いやあ、こんな素晴らしい映画だったのか?
全然記憶にない。

ギリアムと言えば、『12モンキーズ』を観たときのことを思い出す。

あのとき自分はブラッドピットとアンライスのファンのためのメーリングリストを購読していて、最初映画館で観た直後は、ひどい映画だと思っていて、その意見にずいぶん自信を持っていたのだが、(確か)あるときそのメーリングリストの主催者の1人の方が、テーマソングである『What a wonderful world』の歌詞の日本語訳をどこかに書いてくれて、それを読んだ瞬間、自分が180度間違っていたことに気づいたのだ。


つまり、映画の中の救いのなさに対して自分は映画として価値がないと断罪していたのだが、それこそギリアムの表現なのだ。その解釈が、釣りあげた白い長靴に白いマジックで”タイタニック号”と書いて「タイタニック号を引き上げた!」と叫んでいるのだとしても。

未来世紀ブラジルも、ストーリーにおいて、何の救いもない、アンハッピーエンドというよりさらに酷い、映画を観たビフォー/アフターで怒り以外何も生まないかのような体裁を敢えてとっているのは、それが映画だからなのだ。

自分たちは少なくとも現実の社会で生きている”前提”でいる。であれば、ハッピーエンドは、映画の中ではなく、現実の社会で得られるべきだろう? そう聞こえてくる。彼が実際何といっているかは(自分には)この際どうでもいい。

もし現実が幸せで満ちあふれていて、何の不満もなければ、現実逃避としての映画は、不幸であるべきだろう。

幸せは現実の社会の中でつかむべきなのだ。

もし世の中が映画のように不幸だと思うなら、映画の中の主人公のように、幻想の中にではなく、もっとリアルに生き生きとした実体験の中でこそ、幸せになるべきではないだろうか。

どんな人生だろうと不正解はない。だが実際、君はどう在りたいのだ?

ギリアムの映画は、それを辛辣に、そして芸術的に突きつけてくれている。


P.S. 未来世紀ブラジルという邦題について
素晴らしいタイトルだと思う。しかし一方で、原題がこのテーマ曲にギリアムの思いが重ねられていることを考えれば、『ブラジル』のほうがいいと思うというか、自分なら『ブラジル』にしたと思う。とはいえ、繰り返しになるけども"未来世紀"という歪(いびつ)さが、それはそれでメタファとも言え、そういう意味で素晴らしいと思うのだ。もしかしたらブラジルが使えない理由があったのかもしれないし。

DVDレンタル:200円(5本で1000円)
評価:500円
 

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