2012年7月16日月曜日

文章を書く

文章を書くというのは、100%才能だと思っていた。いた、というと過去形だが、この瞬間も99%そうだと思っている気がする(自分自身どう思っているのかはっきりとは分からない)。

だが、ついさっき、実は文章とはプログラミング同様、ある種の基礎技術と経験と法則で、美しく知的で読みやすい感動的な文章が書けるのではないだろうか、と思えてきた。これもデザインパターンと言えるのかもしれないし、すでにそう言われているのかもしれない。ただプログラミング(あるいはソフトウェア開発)におけるデザインパターンでさえ疎遠な自分が、漠然と周りの状況から類推するだけの想定でそうした言葉を用語として使うのは、本来なら遠慮すべきだろう。

ただ敢えて文章のデザインパターンがあると考えた場合、様々なデザインパターンを人格として捉え、漫画のキャラクタのような個性を割り当て、それをプログラム化(100%自動ではなくとも支援ツールという形でもいい)すれば、ゴーストライターとしてpentatoniqの一員に。

※文章というと部分的な感じがするが、文書というと文字がないものも含まれるので、文書の中の文章のみを指している。

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