2012年1月14日土曜日

ペン大 第13回



実際には2012/1/12。

今日の先生はかなり寝起き風だったが、いざ講義が始まると、去年の復習で慣らしながら徐々にいつもの8割方には持っていくからさすがだ。むしろ自分の方が録音に失敗していて、でも序盤の復習中に気づいたので大勢に影響は無くて良かった。

お年玉は貰えなかった。

今日はケーデンスのコピペの話。例えば、
・Ⅲ→Ⅵ→Ⅱ→Ⅴ→Ⅰという4度進行があって、これはダイアトニック環境内だと、Ⅲm7→Ⅵm7→Ⅱm7→Ⅴ7→Ⅰmaj7になるわけだけど、後ろの2-5-1がいわゆるツーファイブワンというケーデンス。これを機能でみるとSD→D→Tとなり、これまでの生理現象に還元したアナロジーの最たる格好になっている。一方前半はどうかというと、(T)→T→SDだ。ところがこのⅥm7を環境外であるⅥ7にしてしまうと、なんと、後半とコード形が同じm7→7になる。しかもⅡm7をⅠ度に見立てれば、なんとなんと、Ⅱm7→Ⅴ7となり、ここもツーファイブになる 。でさらに、コード形が同じなので機能もSD→Dになるという。

ちょっとまった。それはおかしい。だって曲のキーがあってダイアトニック環境で、機能が割り振られるんだから、機能が変わったらキーが変わ る、つまり転調ってことじゃん?「え〜それじゃあ転調じゃなんですか?」と突っ込みを入れようとしたのだが、ビバッパーを舐めちゃいけない。もう2次ケーデンスのネストしまくりでつけ入る隙ゼロ。が、逆にその後ちゃんと「つまり転調しているんですね」という説明が。なんだ聞かなくてもちゃんと出てきたじゃない。寝起き風なのに話の展開が丁寧というか、よく考えられている(たぶん結果オーライでしょうけど)。せっかちだからすぐ疑問があると聞こうとする悪い癖が。何でもか んでも聞けばいいというものではないということに改めて気づいて、まあそれはそれで良かったと。他にもいろいろ聞こうとしていたことはあったのだが、そう気が付いてからよく考えると、まあ聞くまでもないというか、自分で答えを見つけろよ的なものばかり(例えば7thは弾くのが大変だから初めっから補助輪外して弾いて良いか?とか、maj7を展開するとⅠとⅦが隣通しで音が濁って嫌なんじゃない?とか、まあいろいろ)。

さてケーデンスには1次と2次があって(人によっては3次という人も)、

・元々はダイアトニック環境内のⅡ→Ⅴ→Ⅰの動き。つまりⅡm7→Ⅴ7→Ⅰmaj7。だからこれが一次ケーデンス。
・前半のように転調したケーデンスは2次ケーデンス。

まこれは実はTVでやったんだけど、重要な話がこれがミニマリズムだということ。ツーファイブさえ起動してれば、ランダムに並べても全然曲になる。ということでまたしてもチャンスオペレーション。

・くるくるチャンス!オペレーションでⅡ用のコードを幾つか列挙し、Ⅱ→Ⅴを並べて弾いてみる。実際、まあそれなりの音楽に。
 ・Ⅱ→Ⅴでもミニマルだけど、Ⅴ7だけを並べるとブルースに、Ⅱm7だけを並べてもボサノバっぽく。


この「それなりに」っていうのがどうなのかと思ったが、洋服の花柄の例えで思ったのが、結局イトーヨーカドーのつるしの服を作る作業を想像すると、一番最初に言っていた、何の為のバークリーなのかと言えば、まさに吊るしの服を作るがごとく、曲を量産するためではなかったか。音楽の工業製品化、というのかどうかは知らないが、そこにはむしろ、オリジナリティはあまり関与しない。ちょっと違えばいいのだ。どうせ出尽くしているんだから、山にこもってクリーンルームで作曲したところで、既出風な曲に聞こえてしまう誹りは免れないとしても致し方ないという見方に立たれてしまうのかもしれない。

でもまあ、それを言ったら、どんなにオリジナリティ溢れる音楽であろうと、誰も知らなかったというだけで、計算上、あらゆる音楽は既に宇宙に包含されてしまっているんだから(実際延々32分音符の精度であらゆる音の組み合わせを紡ぎ出せば、その範囲の音楽は全て既出と化す)、人に出来るのは、見つけて共有することだけだ。

とはいえ、ここにきてそういうことが初めて見えてきたというのが恐ろしいというか、浅はかに見えるかもしれないが、そうではない。そもそも音楽理論を音楽制作のためのものとしてどうこうしたいわけではなく、純粋に音楽理論が菊地成孔先生の講義の型をもって紐解かれる所の面白さであり、メソッド大歓迎なわけで、しかしかといって、振り返れば音楽は音楽で、今は分からないが、いつか学んだことが、音楽理論を楽しむだけでなく、音楽を楽しむために役立つ日がきっと来る気がしてならない。

ちなみにBSDはカリフォルニア大学バークレー校で、バークリーは音楽大学。ボストンにあるらしい。オンラインでもやっていて、つい2、3日前、この冬スタートの授業が1/9から始まってしまったけど、まだ今からでも間に合うから是非受講して!という旨のメールが来ていた。

あと、予々(かねがね)iPadで指1本で演奏しても、作曲とか分析ならいいんじゃないか、つまり弾けなくてもいいんじゃないかと思ったりしているが、それは勝手にすればいいと思う。多分、鍵盤のダイレクト感はiPadを指1本で弾くようなUIでは出てこないと思うが、工業製品ならそれでいいんじゃないかといいたいわけだ。だとするとそれは好きにすればとしか答えようがないわけで、そう思いつつも、普通にエニーキーOKで鍵盤がずばずば弾けるようになったときに、分かるはずだと思う。そのダイレクト感の素晴らしさが。もちろん単なる想像に過ぎない。だから頑張って練習しよう。あと優に10年はかかると思うけどね。

2012/1/18 追記
Ⅲm7が(T)なことについて、そういえば統計的にTとしてこのコードが実際機能する曲ってどれくらいあるのか、これも質問事項だったが、多分聞いてもしょうがないので、まどうでもいいというか、いずれあまたのスタッツ王国が示してくれると。

それよりも確認したかったのが、厳密にやりすぎない話をどう説明していたっけ?ということで今検索中。それにしても録音した音が酷く籠っていて、次回は取り方に注意しよう。

見つけた。なるほど、要するに自分が思い出したかったのは、「純粋主義的に見るとキツい」という説明。何でもそうだよね。

要するに割り切れないところがあると。メジャーダイアトニック環境内のコードは7種類だから素数で割り切れない的な部分。1/7は0.142857142857で142857が繰り返す。これは要らない情報。

でまあ今日、自分メロディを色んなキーで弾いたら練習になるのか、ちょっとカシオのミニキーボードでやってみたが、なりそう。なんだちっともマゾじゃないじゃん先生。これはハノンでも良いのかも。つーか感受性の違いだろうな。まああんまり先生の言う事を気にせず、好きなようにやるのが一番だということだ。ゆるくゆるく。

でも相変わらずオクターブの下移動が分からなくなる。つまりこのオクターブの同形が見えない。もっとこう全体を見ればいいんだと思う。次の音ばっかり見てるからじゃないかな。常に鍵盤全体を見て弾く練習してみよう。何か車の運転みたいだな。

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