2012年12月1日土曜日

バロンドール

元々記者投票で決めていたものをFIFAがかっさらったFIFAバロンドール。2010年、インテルでリーグ優勝やCL優勝、そして何よりバロンドールの最も重要な基準とされてきたW杯での成績が準優勝であることなどなど、その中心選手として誰もが認めたスナイデル選手。従来のバロンドールの選出方法であれば、間違いなく彼が選ばれたはずなのに、ノミネートすらされなかった。ウソだと思ったらググってみれば良い。スナイデルが選ばれていたはずだったことだけでなく、FIFAバロンドールに選ばれたのは、W杯で全く精彩を欠いたメッシだったが、その彼が従来の採点方式では3位にも入らなかったことが分かるだろう。

まったく、メッシとか、メッシとか、メッシとかのブランドで置き換えようとするFIFA戦略には反吐が出る、と言っておこう。

メッシは素晴らしい。実際アンチバルサ、マドリディスタもどきを自認する自分でさえ、ロナウジーニョ率いるバルサにスタンディングオベーションを授けたクラシコの時代にあってさえ、『ロナウジーニョはCG(訳注:コンピュータグラフィクス)。メッシ、あいつはいいね。本物だ。』とバルサ好きな奴に漏らしたことがある。

だが問題は、メッシだからハンドを見逃すとか、メッシだからスライディングタックルを見逃すとかいう審判の風潮に、FIFAの圧力が丸見えなことよりも、FIFAがバロンドールという組織外の評価すら奪い取ったことなのだ。これを、サッカーにおける言論の自由は失われたと言わずして、一体なんと言おう?

サッカーが結果を求める代理戦争から、AKBと同列の、単なる娯楽に成り下がってしまった。

メッシが素で筆舌に尽くし難い選手であるだけに、なおさら悔しい。まあ所詮、自分の存在が、その程度以下でしかないのが問題なのだが、だからこそ、絶対FIFAマフィアには屈したくないという思いをメモる心を禁じ得ない今日。



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