2012年9月22日土曜日

プログラムの著作権と保護されないはずのアイディア

最近、著作権で悩んでいるのだが、いろいろ調べていると設計図に著作権が認められないケースがあるという判例(地裁なので最終判断かどうか分からない)を目にし、ますます悩んでみているところ。

弁理士協会さんが無料相談をしてくださっているので、お言葉に甘えて(ちょうど空きがあったので)電話で少し相談させて頂いた。もちろん15〜30分程度の短い時間だったので、根本的に解決する話ではないのは承知の上だが、結局アイディアが特許でなければ保護されないことに問題があるのではないか、特許ほどお金をかけて独占せずとも、著作権同様にアイディアが浮かんだ時点から保護される法律を作って、本来コンピュータプログラムはそちらで保護すべきではないだろうか、という意見交換をさせて頂いた。

もちろんそんなことを1人叫んだところでどうにもならない話なので、設計図をプログラム化して著作権を発生させるのが一番現実的な解ではないか、というところで落ち着いている。

これは言うまでもなく自分の勝手な意見だが、先の例のように、あるアイディアを元に描かれた設計図があり、それはアイディア抜きには同じ物は書けないはずなのに、アイディアは保護されないし、表現上の記号や線は誰が書いても同じようになるから(しかも誰でも読めるように規格化された記法なのだから尚更そうだというのだから)、設計図に著作権を認めない、などということがあり得るのであれば、誰もが読めるよう規格化されたプログラミング言語で記述されたプログラムのソースコードに著作権など生まれようがない。コメントがあるじゃないか、というのなら、コメントを保護しているのか?ということになり、コメントの書いてないプログラムは保護されないからコメントを書こう!となるのだろうか。しかしプログラムは一般には、ソースコードの独創性の有無を問う前に著作権が自動的に発生すると認識されているのではないだろうか。

あるいは、詳細に規格化された部品で記述された設計書を機械翻訳し、自動的にプログラムを出力したとしよう。そしてその設計書は著作物ではないとする。そうすると設計書にも自動出力されたプログラムにも著作権は発生しない。ところが、だ。その著作物ではない設計書を見ながら手でコーディングし、プログラムを作成すると、なんと著作権が発生するのである。こうなってしまうと一体何の為の保護法なのかと言わざるを得ない。

元々プログラムを無断複製から保護するために、複製権のある著作権を利用したのではないだろうか。だとしたら、アイディアこそ保護すべきで、著作権同様、同時多発した同じアイディアは特許と違って両立するとすべきではないだろうか。

アイディアが保護されない点について、推理小説での話もさせて頂いたのだが、例えば殺人のトリックはアイディアに過ぎない。それを読み物としてどう面白おかしくスリリングに描くか、それが表現として保護されるべき部分になるはずだ。とすれば、人間関係や状況設定など、推理小説の骨格を支える様々なアイディアは全く保護されないのだから、著名な推理小説をまるまるパクって、表現だけ変えて、これはアイディアを盗用したのであって、著作権侵害ではない、と胸を張っていうアホがいたとしても、まかり通るのではないだろうか、という点については、かなり微妙で、実際、同じ構図の絵を2つ比べて、ぱっと見パクリに見えるものでも、侵害にならないびっくりするような例が演習問題としていろいろあるというから興味深い。


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