2012年9月24日月曜日

悲劇


Long Tail World ホームレスと犬:Homeless Man's Dying Wish: Dog Reunionより

いろいろ考えさせられた。

NYPDのアホが末期のガンならぬ、銃依存患者だということに異論は無いだろう。人間の恥と罵るのは簡単だし、誰だって第一声は「何で犬を撃つの!!!?」に違いない。だが、にも関わらず、ピットブルという犬種の置かれた状況や、恐水病に対するパニック、命がけの割に合わないカップという仕事、等々、信じられない光景に対して、何か理にかなったものを見つけようとしてしまう。

Happiness is a warm dog. ピットブルはスヌーピーにはなれない。
Happiness is a warm gun. 撃った後の銃の温もりだけがホッとさせる。
Happiness is a worm gun. 虫けらを撃ち落とすのも楽じゃない。


悲劇。

ガンで亡くなる前日に、人生の最後のパートを共に過ごしてきた同志が再会を果たし、こんなにも幸せそうな顔をして抱き合う姿を見て素直に、「よかったねえ」と、寅さんだって言うに違いない。でも本当に良かったわけじゃない。もう二度と会えないのだ。もっと幸せになれたのではないだろうか。第一、自分は愛犬と一緒なら、車で生活することも厭わないだろうか、もしこんな最後を迎えられるなら。答えは今イエスではない。だがこの美しすぎる写真の前に、理屈も屁理屈も役に立たない。

あるとき例によって下らないTVドラマを観ていると、ネスがこう言う。「人は誰でもいつか死ぬ。問題はどう生きるかだ。」

ここに映し出された美しい姿は、一見、どんな最後を迎えたかを映しているように見える。しかし実際には、彼らがどう共に生きてきたか。それが映し出されているのだ。それは(彼らのその後が分かっていないものの)撃たれてしまったピットブルと飼い主も同じだ。



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