2014年9月19日金曜日

 

種はタネでもありシュでもある。日本語は文字としては歴史が浅く、昔はほとんど当て字だったことを考えれば、種と種が同じ漢字であることに今更気づくというのも”なんだか”である。

ある本で、この世の中は、折りたたまれている、という解釈に触れたことがある。それを知った時、まさに目からウロコだった。

最近仕事で簡単に思えていたことが実は難問で、非常に苦労したのだが、自分のイメージの中でそれは芽が出るのを待っている状態に思えた。材料は揃っていて、成長した世界を想像することはできるからだ。

しかし成長した世界を”折りたたんで種にする”ことは、言わずもがな難しいことに気づいた。何がそんなに難しいのだろう? いつもそう自問自答していたが、芽を出すには正確に働く種が必要で、それは成長した世界に対し、あまりに小さく、窮屈だ。そこに産みの苦しみがあるのは、当然なのだ。




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