2014年7月30日水曜日

MacOSX 10.9.4 付属のMailアプリで差出人メールアドレスが表示されないソーシャルクラッキングに対するバルネラビリティ


バルネラビリティ
脆弱性とよく言うが、英語ではvulnerabilityというらしい。
脆弱性はぜいじゃくせいと読む。昔読めない時期があったなあ。
カタカナ好きの日本にあって、バルネラビリティという言い回しは初めて聞いた。如何に学がないかがバレようものだが、こういう時、情弱という誤った蔑称が当てられるだろうか。

ソーシャルクラッキング
IT系辞書によると、ソーシャルエンジニアリングが本来の表現らしい。本来というのも語弊があるが、専門家による業界標準といったところか。ソーシャルエンジニアリングというと、辞書には社会工学とあるし、英語でも英語Wikipediaにhttp://en.wikipedia.org/wiki/Social_engineering_(political_science)がある。しかし検索してもクラッキングのことしか探せない。なぜこう呼ぶのか不思議だが、言葉というのはそもそも不思議なもの。


さて、問題のMacOSX 10.9.4 付属のMailアプリの脆弱性(バルネラビリティ)であるが、スマードアドレスというオプション設定がデフォルトでオンになっているせいで(設定を変えた覚えが無い+チェックボックスの下にオフにする説明が書かれていることから断定)、そのままだと差出人のメールアドレスが表示されない。だからフィッシングメールもAppleからのメールも

Apple Developer

と表示される。デベロッパはわかるやろ?というなかれ。

Amazon.com

も沢山来るが、なかなか迷惑メールに行かない(日経ビジネスオンラインは迷惑メールに入るが、これは良いんだか悪いんだか自分でも微妙)。

Appleのサイトには、「(受信者が「連絡先」か「宛先の履歴」リスト、またはネットワーク上のサーバに含まれている場合)」とあるが、誰が見てもすぐ迷惑メールと分かるようなメールでも、名前だけが表示され、メールアドレス表示はされないものもある。

*1 アドレス帳はインストール時のデフォルトのアップルしか入ってない
*2 宛先の履歴に入っていない


大体同じ名前で複数のメールアドレスを持っている人もいる(会社を2つ以上持っている人とか)のだから、そもそも破綻した考え方で、単なる大多数を対象にスマートというのはいかにも浅知恵だし、メールアドレスが表示されないだけなのだから、もし思い通りに機能したとしても、タイトルと本文の最初だけが表示されるメール一覧の列にはどのみちメールアドレスは表示されない(個別表示のヘッダのみ)のだから、消すほどの効果があるとは思えない。

それよりうっかり被害を受ける人の方が多いのではないだろうか。と勝手に推測。

こうしたAppleらしからぬ浅知恵は、もう、Appleではない、と考えるほうが自然で、つまり外部からAppleを堕落させるための工作員が送り込まれたと考える方が自然。まさにトロイの木馬を地でいく、

リアルソーシャルエンジニアリング

だと勝手に推測。





2014年7月20日日曜日

もう一つのアリエッティ

ニーヤがアリエッティたちを見つけて翔にに知らせる。
翔は胸の痛みを必死に堪えてニーヤを追いかけて走る。
川岸まで辿り着くが、アリエッティはみあたらない。
ニーヤも精一杯鼻を利かすが犬のようにはいかない。
アリエッティたちはもうやかんボートに乗って
まさに旅立とうとしていた。
「アリエッティー!」
翔が叫ぶ。
その声がかろうじてアリエッティの耳に届いた。
アリエッティは急いでその声の方に向かって、
急な土手を駆け上がる。
「翔。」
翔が振り向くと、そこにアティエッティの姿が。

と、翔は急に胸が苦しくなり、倒れ込んでしまった。
「翔!」
アティエッティは急いで駆け寄る。
だがあまりに小さな彼女にはどうすることもできない。
急いで土手の柵の竹のてっぺんまで駆け上ると
「お父さん! 翔が!」
アリエッティは自分はどうなっても構わないと思った。
「お父さん、私、翔を助けなきゃ。」

急いで竹の柵を飛び降りると、ニーヤに飛び乗った。
「ニーヤ、お願い。」
ニーヤは猛然と家までダッシュした。

しかし家にいたのは天敵の家政婦ハルだった。だが、
「翔を助けなくちゃ。翔にもしものことがあったら私...」
ニーヤの頭の上に立って、
「翔が倒れたの!」

翔に恨みをもつハルは、翔を助けることより、
小人を捕まえることしか頭に無かった。
翔さえいなければ、こいつを捕まえて、
こんどこそ私が正しかったことが証明できる!
頭の中はそのことだけで一杯になった。

大捕物が始まった。
(中略)
アリエッティはついにクソばばあに捕まってしまう。

(中略)

絶体絶命のピンチを、スピアーに助けられ、
ようやく貞子に会う。
「翔を助けて!」


翔は何とか一命を取り留める。
救急車やら警察やらで辺りは暫し騒然とする。
ばばあは警察につかまり、
翔もかろうじて意識を取り戻す。
救急車に運ばれる翔に、
「この子が教えてくれたのよ。」
と貞子がアリエッティを引き合わせる。

「僕、手術頑張る。」
(アリエッティが髪留めを渡すなど、とこの辺は原画と同じやりとり)

貞子はアリエッティに小人の家を見せ、
「これはあなた達の家なのよ。そう、あなたちのために作られたものなの。」
「ここに住んでくれたら嬉しいのだけど。」

貞子を信じたアリエッティ親子は(特に母親は一も二もなく)、
ここに住むことにした。
スピアーは
「俺は一人がいい」
といって去っていく。

(ちょっと一息)

2014年5月24日土曜日

iTunesでびっくりマークが出たら

iTunes上に突然身に覚えのないびっくりマークが表示されることがタマにある。

恐らく、ファイルの在処をNASにしているからだろう。このNASが悪いのかどうかは分からないが、finderからも再起動したわけでもないのに消えていることがあるので(その場合は根気よく色々試してfinderに表示されるようにする)、自分ではこいつのせいだと決めつけている。しかし容量や利便性や省電力性を考えたら他に選択肢がない。


さて本題だが、iTunesには起動オプションにより、起動時にライブラリの場所を選択するためのダイアログを表示させることが出来る。

http://support.apple.com/kb/HT1589?viewlocale=ja_JP&locale=ja_JP#Message-complete

具体的にはiTunesの場所をfinderで探し(大抵アプリケーションフォルダにある)、optionキーを押しながらダブルクリックで起動、あるいはダブルクリックで起動した直後、アイコンがぴょんぴょんしている間にoptionキーを押せばいい。そうすると次のようなダイアログが表示される。

ここで本当にライブラリを作成したり選択したりするとどうなるのか、やってないので分からない。というのは、ライブラリを選択するのに現在のライブラリを確認しようと、何もせずに終了し、再度普通に(optionを押さずに)起動したら、びっくりマークが消えていたからだ。


つまり、NASが見えてなかったような一時的なリンク切れが発生した場合は、optionキーを押して起動し、ダイアログが表示されたら終了ボタンを押して終了すればいい。


実は以前、これはAppleのサポートに教えてもらったのだが、すっかり方法を忘れてしまい、確かショートカットがあったんじゃなかったっけ?と思って探したのだがそれらしいのが見つからず、悶々と悩んでいると、ふと、あ、起動オプションじゃなかったっけ!?と思い出し、検索したら前述のappleのページが見つかった次第。


2014年2月3日月曜日

ある日の交差点



信号が何度変わっても動かない「何か」が交差点付近を塞いでいるようだ。
遠くからよく見えないが、それでも徐々に近づくにつれ、その全貌が明らかになった。

なんと、交差点でハチ公バスがエンコしてるではないか!

自分の車も何度かヤバい経験をギリギリくぐり抜けてきているので、人ごとではない。
バスに同情しつつも、自分がくぐり抜けてきたラッキーに改めて感謝。
映画『スピード』でサンドラブロック扮する女性の気持ちがよく分かる。

そして誰一人クラクションを鳴らすでもなく、仲良く避けて通り抜けている。


2014年1月18日土曜日

映画『コマンドー』で晒された自分の弱さ



くだらなすぎだ。よくあんなくだらないものを見る頭があるもんだ。勘弁してほしい。だがそれを作る頭はどうだ? あんな高額な制作費をつぎ込み、大勢のスタッフを巧みに操り、確実に儲けを出す。くだらなすぎると激怒して晩飯を途中で止めてしまう頭に、そんな可能性はゼロパーセントだ。

自分のように耐えられない者は、結局それが何であれ、”耐えられない”という弱者なのだ。

しかし物事は相対的だ。自分が弱いから相手が強いのだ。自分に必要なのは、これをやり過ごすような、あるいはこれを跳ね退ける強さだ。




2013年12月29日日曜日

facebookは何かと面倒くさい



なんかこう、作りが好(よ)くない。
公式?ページだと思っていたのがファンのページだったり。いわゆる

「スマートさ」

に大きく欠ける。



でも知らなかった人を知ることで、その人の作品というか創作物に出会って面白いことがあるというのは確か。だからといってfacebookがあるのとないのとでどっちがいいか?と言われれば、端直には無いほうがいい。無い方がいいが、それじゃベニオフCEOにハードボイルドまがいなにらみを利かした渋顔で、




「don't be binary.」

とか言われるのがおち。


でその、最近知った人のエントリーで、クリスマスの夜、飲み過ぎて倒れている人を心配して交番に行く話がとても面白く書かれていたのだが、自分にも似たような経験があったのでメモしておこう。



あるとき、多分10年ぐらい前、車で家に帰る途中、もう家は近い。住宅街の細い下り坂を丁寧に、見通しの悪い交差点は交通ルールに従って十分徐行しながら何本か通過したところ。

突然、倒れた自転車と人が視界に飛び込んで来た。

見た瞬間酔っぱらいだと思って通り過ぎようとしたのだが、かみさんが言うことを聞かない。「だってもし後から来た車に轢かれたらどうするの!?」ときた。仕方ないので車を路肩に止めると、かみさんが近寄って声をかける。

だがまてよ? この状況、どうみても俺がこのおっさんを轢いたってシチュエーションじゃないか!

いやいやいや、みなさん。違います。違うんですよー。僕たち(正確にはかみさん)はただ、あの人が心配で駆け寄っただけなのですからー。

結局案の定、酔っぱらってコケた勢いで寝転んでしまったおっさんだったのだが、声をかけられるとすぐに気づいて、どうもすいません、とニコニコ。まったく。

警察はもちろん呼ばなかったし、後から心配になってちゃんと帰ったか確かめたりはしなかった。我ながら冷たい奴。

2013年12月26日木曜日

動的な曲


     ♪ = f(x)


曲は、一般的に静的だ。ライブ演奏には即興が加わるが、もしそれを録音したら、それは静的になる。曲として動的かは微妙だ。

動的な曲とは、例えば関数で出来た曲、というのが考えられる。譜面には関数が書いてあり、演奏あるいは再生するたび、何かが違うのだ。それは、関数にはパラメータがあからであり、それを例えば天気や気温のような、常に動的な自然現象を入れる、などすることにより、動的な曲を実現することができるのではないだろうか。善し悪しは別として。

コードを関数と考えることも出来るだろう。曲にはパートがあり、どのパートでどの音を使うか、リズム(拍子とBPM)も合わせて最終的な音を選択し、積み重ね、あるいは混ぜ合わせることで、ユニークな曲が完成するのだから、ライブの即興演奏的な振る舞いを、コードという関数(あるいはもっと直接的に言えばプログラミング上のクラス)としてみることができるかもしれない。

しかしここでメモしたい動的な曲における関数とは、もっといろんな要素が含まれ、再生の度に(原則として)前とは違う曲になるのだ。言ってみれば、パート毎に擬人的で、その感性が関数のパラメータに依存にする。

とはいえ、曲としての一貫性あるいはアイデンティティを持っていなければ、それが特定の曲名を持つには値しなくなってしまうだろう。

関数型の楽曲。

つぎはこれにチャレンジしてみたい。